3月は書くのをサボったわけではございません。

読むのをサボったのです。だから1冊も読んでいません。

そもそも通勤時間に本を読んでいるのですが3月はほとんど出勤しなかったもんで。

で4月は2冊ほど。

 

『パラドックス13/東野圭吾』

んー、特に。

簡単に言うと突然自分の周りに誰もいなくなってそんな中で出会った13人が

どうやって生き残っていくかのお話。

突然人がいなくなったから走ってた車とかぶつかって火の手が上がったりして大変。

豪雨や地震に見舞われながらもなんとかやり過ごす様子とかは緊迫感あったけど。

けど、なぜその13人なのかとかも普通に読んでいて分かっちゃったし

最後の展開が途中で読めてしまって、なんかもう1驚き欲しかったかな。

直前に読んだ東野圭吾さんの麒麟の翼や新参者はちょっとずつ真相が

わかっていく感じが面白かったので余計にね。

 

『恋文の技術/森見登美彦』

全編主人公が送った手紙、というか文通の小説。

主人公側からの内容しか書かれてないけど、相手がどんな手紙を送ってきたかを

主人公の返事から推察しながら読む感じが面白い。

書簡体小説っていうジャンルらしいですね。詳しくは知らないけど。

面白かったのは途中で森見登美彦さんとも文通していた点かな。

あと夜は短し歩けよ乙女の内容もチラッと出てきてニヤッとしたり。

夜は短し歩けよ乙女の映画を見に行くって言ってた人と話した時に

面白いよってオススメされた本だったので結構面白かったです。

森見さんっぽい文体だったけどね。

 

そんな感じで四半期終わって12冊読んだわけで、だいぶペース落ちましたね。

年間53冊読むのが目標なので月に4冊だと間に合わないですね。

乱読乱読~。

 

 

早速もう書くのやめようかと思ったけど、一応。

時間ないので手短に。

 

『麒麟の翼/東野圭吾』

加賀恭一郎シリーズ9作目。

犯人は誰か、ということよりも「なぜここで死んだのか」というのが

メインの謎だったのかな。

新参者もそんな感じだったけど、読み進めていくごとに

どんどん真相が明らかになっていくので面白くてガンガン読めた。

読み終えて「いい話だったなぁ」と思えた。

ちょうどいいくらいの文章量だったね。

 

『猫物語(黒)/西尾維新』

『猫物語(白)/西尾維新』

『傾物語/西尾維新』

というように西尾維新の物語シリーズ立て続けに3つ。

ラノベに感想とか特にないかな。

猫物語(白)でシリーズ初めて語り部が阿良々木君じゃなくて羽川になったね。

化物語から始まって時系列は別として1つの話のつながりだった感があるけど

傾物語は少し違った感じで面白かった。

 

と、今月は4冊。実はこの4冊を最初の1週間くらいで読んで

その後残りは1冊も読んでないのよね。

胃痛が悪化してて電車乗ってても本読む気にならないのよ。

まぁでもこれで合計今年10冊ということで残り目標43冊。

あんまり鬱屈としてないで本くらい読む心の余裕を持ちましょう。

ってな感じ。日付詐欺して2月更新に変えておこう、これ。

今年の初めに今年の目標として「月に1冊は小説を読む」というのを挙げた。

そんな話を人にしていたら「週に1冊にしたらどうですか」と言われた。

それ、面白いね。じゃあそうするよ。

そんなこんなで本を読んだのでせっかくだから読んだ本の記録も兼ねて

感想を書いてみようと思った。つまり俺の継続力が高ければ

同様のものが後11回書かれる。

ちなみに読むのはほぼ移動中の電車のみで、ちょうど今日読み終えた。


『仮面山荘殺人事件/東野圭吾』

これだけ再読。上記のような事を思って本屋に行ったら
「何持っているかわからねぇ」となったので一度家に帰って
持っている本を見返した。ついでに何か読むかと思って読み始めた。
ちょうどクローズドサークルで事件が起こる話を読みたかったので。

内容忘れているなと思いながら読んだけど最後の展開は覚えてた。
それでも面白かったのでこれは一晩で読み切ってしまった。
山荘が強盗に占拠される中、1人の死者が出た。
ところが犯人は強盗とういうのはありえない状況だった。
犯人はいったい誰か、そしてこの状況から助かるのか。
そんなお話。


『謎解きはディナーのあとで3/東川篤哉』
1,2ともに読んでいるので3も買った。
↑で書いた買いに行ったときは売ってなかったのよね。

1,2通じて同じ展開だけれど、事件が起こる→お嬢様が執事に話す→
執事がお嬢様に暴言を吐く→真実が語られる。
この執事の暴言が「読者への挑戦状」なのよね。
「もう真実を解き明かすヒントは全部出したぞ。さぁ解け」というやつ。

シリーズ通じて「ここがおかしいのは何となく分かる」までは行くのだけど
結局1つも真実は分からなかった。
でも前のからなんだけど、これは読んでる最中は面白いんだけど
読み終えたあと特に印象に残らないんだよね。
それは犯人の動機とか確保する瞬間とかを一切書かないタイプだから
そうなのかな、とも思う。
でも「安楽椅子探偵」としてはちゃんと成立しているか俺は好きよ。
終わり方が最終巻なのかなって感じだったし続編も書かれてないので
やっぱりこれで終わりなのかな。
小学館文庫らしく最後には名探偵コナンが出てきたけど、
コナン君口悪すぎだったw


『私の嫌いな探偵/東川篤哉』
東川さんの烏賊川市シリーズの短編。全体的に流平くん出番少ないね。
まぁタイトルのとおり朱美さんがよく動く話だった。
短編5話、「多分こういうことなんだろうなぁ」が3つ、
そこまではわからない1つ。何言ってんだお前www1つ。

烏賊川市シリーズ読むのなら最初から読むことをおすすめ。
でも俺は3つ目の「完全犯罪に猫は何匹必要か?」が好きよ。
これに関してはほぼ完全に謎解けて気持ちよかったからw
「密室の鍵貸します」は読んでおかないと登場人物わからないと思うよ。


『ジャイロスコープ/伊坂幸太郎』
伊坂さんの短編が平積みされていたので買おうと思ったら
前に1つ短編が出てるそうなのでそっちを先に読んだ。

短編6つと文庫本用に書かれた1つの7話からなる1冊。
正直これは滅茶苦茶おすすめしますわ。すごい面白かった。
1話だけ読み終えた感想「これは一体何だ?」ってのがあったけど
「ああ、こういう書き方してたらその展開っすよねー。気付かなかった!」
とか「いやいや、それはこじつけだよー、でも成立してるね!」とか、
「最後の展開はわかる。わかるんだけどニヤニヤしちゃうっ!」
って感じで楽しく読めた。
実行はしてないけど読み終えてからもう一度読み返せばよかったなって
話もありました。

個人的なおすすめは「彗星さんたち」「二月下旬から三月上旬」の2つ。


『新参者/東野圭吾』
加賀恭一郎シリーズ8作目。今月読んだ中ではこれが一番。
下町で起きた事件を解決するためにいろいろな人たちと関わる加賀さん。
事件に関係ないような話から関係する話まで。
下町ならではの人間関係だったり町並みだったり。
1つの大きな話であるけど小さな話の連なりで、こっち出ててきた疑問が
別の話で解明される。どの話を見ても面白かったし、なんなら途中で泣いた。
本当に加賀さんがいてくれてよかったよ。さすが加賀さん!

ちょっとした小話だけど、ずっと「しんざんしゃ」だと思ってたけど
「しんざんもの」なのね。なんとなく語感なんだけど
「しんざんしゃ」だとハードボイルドな感じがしてたけど、
読んでいたらすげぇ下町の話。
でもそれが「しんざんもの」だと知った時になんかスゲェしっくりきた。


『首折り男のための協奏曲/伊坂幸太郎』
こちらがさっき書いた買うの一度やめた短編。
最初タイトルからして「マリア・ビートル」の七尾が出てくるのかな、
って思って1話目読んだら驚いたよ。Waltzの首折り男だったとは。
Waltzは漫画化した魔王とグラスホッパーを合わせたような奴を描いた人の
漫画で、主人公はグラスホッパーに出てきた「蝉」。
蝉が殺し屋としてグラスホッパーに出てくる前のお話。
そこに出てくる首折り男だった。
(まぁ登場シーンは漫画と同じだったけど後は全然違う話だった。)
こちらにはラッシュ・ライフの黒澤さんも出てきて楽しい。

あとがきを読んだらもともとは関係ない話だったのを加筆修正して
関係のある話にしているらしい。
確かに1話目で首折り男が過去にどんな殺人をしたか書いてあって、
その後の話で全てそれについて書かれていた。
かと思えば全く関係ない話もあったり。

こっちにも「あーだからなんで気付かなかったよ!」って感じのがあったり、
「結局どうなるのよ!」ってのがあったり「えっ、これで終わり?」
ってのがあったり、とても楽しく読めました。
短編で比較するなら…、うーんどっちも面白かったなぁ。比較無理!



という6冊でした。

また僕気が向いたり書く気が起きたら来月も書きますよ。
それでは。

特に理由はないのだけどブログを書いてみようかと。

 

前回書いたのは6月20日ということで半年間書いておりませんでしたね。

 

といっても特に書く事もない平々凡々な人生を歩んでおりましたけども。

 

 

前回ばあちゃんの見舞いに行って、変化なしと書いておりましたが、

 

その1週間後に葬儀のために実家に帰ることになったのだから

 

人生というやつは何が起こるかわかりませんね。

 

そんなわけで数年ぶりの喪中というやつで新年の挨拶は以下略。

 

 

うちは父方の実家が毎年年末に餅をつくので

 

それを受け取りに行くという行事がありまして。

 

10数年ぶりに行ってきました。毎年餅つきの日に何かしら用事があったもんで。

 

久しぶりにいとこの子供に会いまして、僕の記憶では最後に会ったのが

 

小学校に上がる前だったのだけどなんか就職してました。ビビるわ。

 

今八王子に住んでるんだって。連絡先すら知らないから会うことないけど。

 

 

我が家のハウスルールで成人するまでは子供にお年玉を

 

上げることになっているけど、いとこの子供の分を初めて出しました。

 

ちなみにその子は来ていなかったので僕はあったことないガキに

 

お年玉渡しました。今年大学受験らしい。誰なんだろうね。

 

父方の祖母はまだ存命なのだけど、デイケアから帰ってきて一瞬姿を見たけど

 

俺の記憶にある姿ではなかったなぁ。そして会話はできなかった。

 

まぁ、そういうものなんだと思います。

 

炭火で火を焚き水を沸かし、もち米を蒸して蒸しあがったら餅つき機に移す。

 

そんな作業を眺めながらぼーっと過ごしていたけど、親族を招いての

 

餅つきは今年が最後らしい。やはりもう全体的に高齢化が進んできて

 

色々と大変らしいので。まぁ餅つかずとも盆と正月には

 

なんとなく訪れるのだろうけど。

 

今年は酉年のようなのでおかんが父親が生きていたら年男だと言っていた。

 

へー、知らなかったや。生きていたら72歳らしいです。凄いな何となく。

 

生きていたらどうなっていたんだろうと思うけどタラレバ話に花咲かしても

 

別に特に何もないので何も思わないようにする。

 

 

まぁ最近はストレスがひどいのだけどなんとかかんとか適当に生きてます。

 

流石に仕事中にいきなり吐いたのと家帰ってから1時間くらい吐き続けてたのには

 

驚いたけどまぁ何かしらのタイミング的なアレが重なっただけだろうと

 

思っておきます。

 

仕事の云々は4月になったらどうにかなるようなならないような、

 

そんなあやふやな中でどうにかこうにか受け流して過ごしてます。

 

そんな近況報告。

 

 

今年の目標は色々と決めましたけど人からは彼女作れと言われたので、

 

今年は人体錬成の方法を勉強していこうかと思います嘘だけど。

 

まぁ成るように成るし、成るようにしか成らないし、

 

成ろうと思わなければ成らないのでそんな感じで今年もアレしてください。

 

喪中なので新年の挨拶は以下略。

各種SNSで喚き散らしてますが、流行性結膜炎にかかりました。

インフルエンザ等にかかったことがないので生まれて初めての外出禁止です。

まぁとにかく刺激が足りません。

でも振り返ったら笑える話なのかな、とも思ったので人生のブックマークをテーマに

書いているこのブログを更新しようと思いました。


とりあえず直近のブログで書いていたばあちゃんの様態ですが、

GWに帰って様子を見たところ、良くも悪くも変化なし。

このまま低空飛行し続けても不思議でなければ止まってしまっても不思議はない。

そんな感じです。

見舞いに2日連続で行ったのですが1日目には横のベッドに人がいたのに

2日目にはそのベッドは空になっていました。そんなところに入院しています。


私事ですが、この6月に入ったことで今の職場で3年目を迎えました。

ふと気付いたんですが、過去同じ職場に2年間いた事ってありませんでした。

でも特に感慨もなく「これで実務経験2年以上に転職できるな」と思いました。


入社したとき「とりあえず2年は頑張ろう」って思ってました。

その2年が経ちました。いま仕事を辞めるつもりです。

っていうか今週辞めると言おうと思っていました。

先週金曜に「言うタイミング掴めないから月曜社長に辞める意向をメールして、

週内に会話する時間とってもらうかー」とか思っていました。

で、今週一度も出社できず。ですよ。なんとまぁまの悪いことか。

ちなみに来週も(更新時間的に分かりづらいけど~24日までです)

出社できません。完全に言うタイミング見失ってます。困ってます正直。

辞めようと思った理由はきっと辞めると言った後でブログを更新すると思います。

別に楽しみにしていないくてもいいけど。


言っても無職の期間が人生合計2年以上あるのですが、

その中でも外出できないのはありませんでした。

家族から「ニートを家で飼っているのは恥だから太陽が出ている間外出するな」と

言われていたことはありますが、そのときは夜中に外出していましたので。

ずっと家にいるわけです。本当に感覚がどんどん閉じていく気がしますね。

人と関わる事がどれだけ素晴らしいことかということを声を大にして言いたい。

結構病んでます。マジで「俺がなんか悪いことしたのかよ」って思ってます。

必死で厨二病の仮面かぶってなんとか現状を誤魔化して上っ面保ってます。

俺の泣き言全部ぶつけてやろうか(`・ω・´)キリッってなもんです。


昔から思っているのですが、俺って運がないよな、と。

運が重要なゲームすると大概負けるんですよね。これ本当に。

ケンちゃんとかに聞いてもらえればわかると思いますけども。

ポーカーして負ける麻雀して負けるダーツして勝つボウリングして勝つ

くじ引きして当たらない輪投げして特賞と1等を2投でかっさらう。

「運がねぇから実力つけて勝つしかない」が人生のテーマでございます。

そんな僕が先日のぶの結婚式の二次会でディスニーペアチケットを当てたわけです。

しかも司会していたしょーじの式でペアチケットを当てたのがのぶだと。

のぶは(別の時だけど)ディズニーでプロポーズしたと。

良い巡り合わせのチケットだと。そんなものを手に入れましたので、

もう運が無いとか言っていないで実力でなんとかしなくては。


とりあえず錬金術で人体錬成する方法調べます。実力で。
表題の通り、NO MUSIC NO LIFEという言葉について。

まぁ言っても僕も幼稚園から5年超ピアノを習い、中学では1年間トロンボーンを吹き、

大学では軽音楽部でベース弾いたり歌ったりキーボード弾いたりしていましたので、

音楽はとても好きですよ。今でもライブにちょくちょく行ったりしてますしね。

しかし、どうしてもこの言葉は好きになれないんですよね。

音楽のない人生なんて。なんて、何?とか思うのです。


この週末祖母の兄、大叔父の葬儀で実家に帰っていました。

特に大々的に告知もしない身内だけの式で、通夜は5人、葬儀は6人しかいませんでした。

この大叔父は生まれつき耳が聞こえない、言わゆる障碍者というやつでした。

別に「害」という字を使わなかったことに意味はないです、一発目の変換がこっちだったんで。

若い時の写真を見たんですが、ハーフっぽいイケメンでしたけど生涯独身でした。

畳職人として働き、今のようではない一発ずつ手で打ち出すパチンコが得意だったらしいです。

耳が聞こえないとできることに限りがあったり幅が増えたり、でしょうかね。


生まれつき耳が聞こえないということは、喋れないということなんですよ。

だって「あ」という文字が「あ」という音だと分からないんですから。

なのでコミュニケーションは全部ジェスチャーでした。時代だからかどうかは知りませんが、

ちゃんとした手話なんかはできなかったみたいです。でも十分にコミュニケーションはできました。

振動とかにも敏感でテレビ見ててリモコン床に落とした振動とかでこっち振り向いたりしてました。

まぁ晩年は大分鈍くなっていましたけど。


昔自転車に当て逃げされ骨折してました。火葬場で骨になった姿を見たとき、足元に

ボルトのようなものがあったので「もしかしたらあの時のものかなぁ」と思いました。

犯人は捕まっていません。だって犯人の特徴を言葉で伝えることもできないんですから。

なんならその場で助けを求めることもできなかったでしょう。

「喋れない人」に対して世間は意外と冷たいものです。


昔夜中にコンビニにいたらズボンはいていない下半身パンツの変な人が現れました。

「やべぇ、変な奴に絡まれた」と正直思いましたが様子を見てて「ああ、耳の聞こえない人だ」と

気付きました。コンビニの店員に何かを必死に伝えてたけどまったく伝わっていなかったので、

(多分コンビニの店員も「変な奴に絡まれた、どうしよう」と思っていたと思います。態度的に)

ジェスチャー読み取って「ズボンと財布を取られたから警察を呼んでくれって言っています」と

伝えて、警察が来るのを待っていました。

で、警察にこうこうこういう事情ですと伝えたところ「手話ができるんですか?」と聞かれたので

「いいえ、できません。でも身内にこういう人がいるのでジェスチャーで分かるんです」と言いました。

大叔父がいてくれたおかげであの人の役に立てたんじゃないかなって思います。


高校の時に補聴器をつけた同級生がいました。まぁ、いじめのようなものがあったみたいです。

あったみたいです、というのは別の俺はその光景を見ていじめだと思わなかったから。

まぁ本人がいじめられていると感じていたようなのでいじめがあったようなのですが。

個人的には「補聴器つけて聞こえてるんなら大叔父よりいいんじゃないのかね」って思ってました。

まぁ本人がどうつらいと思っていたかは特に知りませんし、

性格的に「まぁまぁみんなで仲良くハッピーに過ごそうぜ」とか言い出すタイプでもないので

僕は普通に話しかけられたら会話するとかはしてましたけどね。

まぁこの辺の考え方?みたいなもの?も大叔父がいたことで影響を受けていると思います。

別に体がどうだとか国籍がどうだとか性別がどうだとか、あんまり関係なくて

俺が好きなら好きでいいし、俺が嫌いなら嫌いでいいし。周りがどう思っているとか関係なくね?

という感じで今も生きています。


大叔父は94歳で、確か6月生まれだったと思うので約95年間、音のない世界で生きていました。

大叔父の寝室にピアノが置いてあったので(寝るときにしか使わない部屋だったので)、

その黒と白でできたものを見て大叔父は何を思っていたのか、少し気になりますけど

しかしながらそういった心情の機微はジェスチャーでは読み取れないので

最後まで分かりませんでした。

通夜や葬儀の最中「生まれつき耳の聞こえない人に対して経を読んで意味があるのだろうか」

なんてことも考えていました。

しかし、大叔父は約95年間、今の俺の約3倍の人生を生き、大病を患ったというよりも

老衰で静かに息を引き取りました。もしかしたらどこかが痛かったのかもしれない、

どこかが苦しかったのかもしれないけど、特にそういったアピールもなかったし

当然そういった発言もなかったので穏やかに息を引き取ったんだと思います。


昔「健全な精神は健全な肉体に宿る」といったニュアンスのコピーがCMに使われて、

「では体が欠損している人は健全な精神ではないのか」とクレームが来て使われなくなった。

という話を聞いたことがあります。本当か嘘か知りませんし、本当だとしても

それはただの言葉狩りではないだろうか、と思います。

本当だとしたら「NO MUSIC NO LIFE」という言葉もかられる対象になるのではないかなぁ

と思ったりもします。本当かどうかとか、別にどうでもいいです。

ただ、個人的に少し好きじゃないだけです。

音楽のない人生なんて。なんて、何?


天国とか地獄とか、そんなもんあると思ってないです。

でももしあるとするならば、その世界は言語ではないもので会話ができる世界だったらいいなぁ、

そんなことを思います。
Twitterで騒いでいてすいませんね。

ばあちゃんが死にそうだって連絡受けたので今週末実家に帰ってました。

いや、正確に言うと死にそうだった、ですかね。

もともと年末に帰ったときに「次は3月の3連休で帰るわ」って言っていたのを

1週早めて帰りました。


どうやら「手術しないと数日以内に死ぬ」という状況になっていたらしく

緊急手術がされ、その手術は「高齢ではかなりのリスク」だったらしく

術後も大分生命力が衰えていて、これは本格的にやばいという状況になったけど、

経過を見ていたら回復してきて結構いい状態になったみたいです。

でも万が一何かがあったら…、という状況は抜けておらず1週早めた次第です。

まぁ極端な話でいうと、万が一何かがあったら俺も死ぬわけで。

明日電車のホームに落ちたら、階段がらすっ転んで頭打ったら、通り魔に心臓貫かれたら、

まぁ結構な確率で死ぬでしょうね。それが起こる確率はそれこそ万が一で

0.01%くらいかもしれないけど、ばあちゃんに何かが起こる確率はそれより高く

百に一くらいかもしれないんで、まぁ1週遅らせて一目見れなかったってなったら

後悔すると思ったから帰りましたとさ。


去年のGW前に一度倒れて入院して、その時も大分やばかったです。

家族が見舞いに行ったら「おそらく年は越せないだろう」と思ったみたいです。

そこから医者も「奇跡的な回復だ」と言ったらしいくらい回復して無事介護施設に入れました。

家族としてはどうかしらないけど、俺としてはもうこのまま穏やかに余生を過ごして

天寿を全うしてくれればよいなぁと連休で機会を見つけては東京土産を持って帰っていたわけです。


で、今回のこれ。複雑な気分です。

回復に向かっているのは喜ばしいことで、覚悟としては「これが今生の別れだ」と思いながら

実家に向かったわけですが、百が一が起こらなかったら多分GWで帰った時にも生きているでしょう。

だた、状況としては現状、物が食えない、ほとんどしゃべれず寝っぱなし、栄養は鼻からチューブで、

痰が吐き出せずに2時間に1回喉にあけた穴と口から吸引している、という状態なのですよね。

痰を吸引するところに今回立ち会ったのですが凄く嫌そうでつらそうな顔していました。

91歳になって腹切り開いて腸切って縫って、そんな目にまで合って生きていてほしいのか?

と少し自分に問いかけてしまいましたね。


家族と本人の希望として「何が何でも延命措置」というものは取らないと決めています。

なので何かがあったらばあちゃんの人生はおそらく幕を閉じるでしょう。

そんな話を聞いているし、実際に実家に帰ったときにしているので覚悟は決めていたつもりでした。

でもこんかい手術した話を聞いてものすごく不安になったことと

見舞いに行った病室で他の人つけていた心電図から異音が出たときに看護師さんたちが

大勢着て取り囲んでいる様子を見たらそんな覚悟は紙程度の強度しかなかったと気づきました。

生きていてほしい、でもツラいのならもういいのではないか。そんなことがグルグル回っています。


GWの入院の時よりは今回はマシなのですが俺が誰かは分かっているようで

「知らん間に来たな」と言われたけどおかんが「名前分かる?」と聞いたら首を振っていました。

GWの時には俺が誰かも分からなかったようです。でも介護施設にいたときは俺のことも名前も

ちゃんと分かっていました。希望としてはもう一度回復し、俺が誰か、俺の名前がわかる状態に戻って

あとは穏やかに逝ってほしいかな。と思いました。

これが30代とか40代ならまだ何が何でも生きて回復してほしいと思うところでしょう。

でもばあちゃんは次の5月で92歳。ただ痛みとかなく穏やかな余生を送ってほしいです。

そしてその幕が下りた時、きっと僕は決めていた覚悟なんて元から無かったかのように

号泣するのでしょう。


何を言っているかわからないと思うけど、俺も何が言いたいのか分からないんだわ。

とりあえずやっぱり今回帰って良かったと思う。ちょっと疲れたけどね。
再三TwitterやFacebookに書いているんですが、引っ越しました。

何度か言っているのですがこのブログは僕の人生のブックマークを残しているので書きます。


前の家に引っ越したのは1年前の5月9日だったかな?

知っている人は知っていると思いますが(どうでもいいけどこの言葉当たり前だよね)、

引っ越しを賭けてダーツをして負けて引っ越しました。

どうせ書いてるだろと思って調べたらやっぱり書いていたので詳しく知りたい人は

こちらのリンクからどうぞ。引っ越します。

今読んだら大して書いてなかったですね。


まぁとにかく急に引っ越したんで「良い条件ならいいや」って決めたんですけど一つだけね。

家賃がね。高かったんですよ。共益費込みで87000円。

そんなこんなで5月くらいから「今度は余裕を持っていいところがあったら引っ越そう」って

ずっと探してたんですけど、ようやくいいところに巡り会えました。

駅から徒歩7分でバス・トイレ・洗面別、ガスコンロ2口グリル付きで駐輪場もポストも雨かからない。

この条件なら満足です。お家賃72000円とちょっと希望上限より2000円超えましたけど、

それはまた半年後くらいには書くであろう理由でOKしました。

大家さんが同敷地に住んでいて安心感もあるし閑静な住宅街だし今のところ文句なしです。


でも前の家、すごく好きでした。条件面は「この家にないのは床暖房だけです」と

不動産屋に言われるくらい完璧な条件でしたね。核のめんどいから書かないけど。

なにより良かったのが、駅から家までの道が凄く空が開けていたことですね。

これも他のSNSに写真載せてるから載せないけどほんとうに綺麗でした。

空をボーッと見ているとなんだか幸せな気分になる質なのでとても幸せでした。


家の中でも色々なことがありました。でもその全てがとてもよい思い出です。

書けることとか書けないこととかあるのだけど(笑)、その全て誰がなんと言おうと

良い思いだと胸を張って言えると思います。反省することは有るのだけど。


この家、更新料かからないんですよ。だから特に出て行く理由ができないかぎり居たいです。

またこの家でもいい思い出をいっぱい作れたらなぁって思いますね。

不動産屋に「ここを出て行く時は女の子と同棲する時ですね、だからここが終の棲家です」

ってちゃんと言っておきました!ドヤァ
君たちが知っているかどうかはどうでもいいのだけど、

この不定期にしか書かないブログを僕は一昨年から11月には1度書いています。

理由は父親の命日が11月13日だから。年に1度位は思い出そうと思って。


今年はいろいろ考えました。4月にばあちゃんが倒れてGWに見舞いに行ったら、

もう完全に駄目だと思いました。俺のことがわからない、というよりも

俺のことが見えているかすらわからない。言葉もしゃべれない。耳も聞こえない。

正直「これは生きているんじゃなくて、死んでいないだけだ」と思いました。

盆まで持たないんじゃないかって思っていたんだけど、医者が「奇跡的な回復だ」と

言うくらい回復して今は介護ホームに入っています。

シルバーウィークに会いに行ったけど、ちゃんと俺がわかるし会話もできるし、

なんなかおかんが持って行った菓子食ってました。

食っているところを介護士さんに見つかったんだけど「我慢させるのも可哀想」と言って

許可を得ました。ただ、条件がついていて「何かあった時に家族が理解するなら」でした。

平たく言うと「詰まらせて死んでも責任は取らない」って言うことだと思いましたけど、

コレが世に言うクオリティー・オブ・ライフというやつなのかなぁって思いました。

もう90歳になったので、長生きしてなんて言いません。残っている時間を穏やかに

過ごしてもらえればいいなぁと思っています。

僕としても、これから実家に帰って会うときは「これが最期かもしれない」ということを

少し頭に残しながらその姿をちゃんと見ようと思います。


父親とはコレが最期だ、とは全く思ってもみない別れでした。

最期に交わした言葉も覚えてません。おかんが最期に話した会話は俺が入院したので

その様子を見に単身赴任先から家に戻ってきてて、朝見送るときに

「後のことは頼んだぞ」というものだったそうです。亡くした当時は

「何が頼んだだよふざけんな」って思っていたけど、まぁなんとかやってこれてます。


命日が近いってことで今月の3連休に実家に帰ろうと思ってます。

墓参りとか、ばあちゃんの様子見とかもあるので。

魔の悪いことに兄貴は昔の悪友の結婚式だそうですれ違いで東京に来るようです。

そんなわけで実家で母親と二人。父を亡くした直後の2年間は東京で母親と二人暮らしだったので

何となくまた父親のことを思い出したりしたものです。


今日、と言うかつい今さっきコンビニに寄って、何となく目についたお好み焼きを買ったんです。

んで、「そういえば実家以外でお好み焼きを食ったことって殆ど無いな」って思ったんです。

お祭りとか言ったら売ってるんだろうけど、そもそも殆ど行かないしやきそば派だし、

かき氷とか食べたくなっちゃうからお好み焼きを外食するってことが殆ど無いんです。

で、いま実家に帰ると大体いつも2泊位で、1度は友人と飯食ったりするし、

必ず1食は贅沢な飯(主にカニ)が用意されているんで

実家でもお好み焼きを食った記憶があまりなくて。

「今回は二人だし余計食うことはなさそうだな」って思いながらコンビニお好み食ってました。

実家のダイニングでホットプレート出して、兄貴がいつもお好み焼き焼いていたなぁ。

って思いだしたんですけど、もっと更に思い出したら違ったんです。

兄貴が作るようになったのは父親を無くしてからだったってことを思い出しました。

昔書いたんだけど、俺って父親との思い出が殆ど無いんです。

さっき書いた入院の見舞いに来たことと、自転車乗る練習に付き合ってくれたことと、

家族で海外旅行行ったこと。それくらいしかぱっと思い出せないけど、まだ持ってたんです。


まだ巣鴨の父親の会社の社宅に住んでいて、301号室で

台所からすぐのところに食卓置いてあって、短い側が壁についてて反対側に父親が座ってて、

長い方の台所に一番近いところに母親が座ってて、その横に兄貴が座ってて、

母親の正面に俺が座ってて。父さんがお好み焼き焼くのを見てて。


それ思い出したらお好み焼き食いながら少し泣きそうになってしまいました。

で、今年も13日前後にブログ書こうかなって思っていたけどいま衝動で書き上げました。

ああ、あのお好み焼きは父親の味だったんだ。それを今は兄貴が作っているんだって思ったら

これは我が家の男の味なのかななんて思いました。ずっと作り方見ているんで俺も作れるから。

まぁお好み焼きの粉を使うすっげー普通の味のお好み焼きなんですけどね。


我が家の男の味…。悪い父さん、この味俺と兄貴の代で多分途切れるわ。

後ろに引き継げねぇもんで。
去年の6月から今の職場に行き始めたので今日終えてようやく1年経ちました。

まだ一年か、と、もう一年か、と。

仕事していると日数感覚麻痺してくるから、「今週終えて1年ですわ」って話を

俺が入る以前から居た人にしたら「もうそんなに経ったんだ」って返ってきたり、

「もう2年くらいいる気がしてた」とか言われたりするもんですよね。


1年間で「この会社は人の入れ替わりが激しいなぁ」というのが率直な感想ですかね。

3月までの10ヶ月間で8人辞めてますね、5人入社で。

4,5月に4人入ってきたけど、誰から脱落するかな、とか思っちゃっています。

けど今までに居なかったタイプなんで意外とみんな大丈夫じゃないかなと思います。

彼らや出向先から戻ってきたほぼ同期が今居室にいるおかげでちょっと楽しいです。

とか思っていたら今週楽しくないこと起きちゃったりしたんですけどね。まぁいいや。


自分のこと。

実務未経験から採用されて、まぁそこそこやっているんじゃないかなぁとは思えています。

あまり実感はないのですがちょうど今日、しゃちょさんとエレベーターで二人になった時に

昨日納品したデータに対して客先の人が「イメージした感じになったって喜んでいた」と

伝えられて、結構嬉しかったです。いや、かなり嬉しかったです。

この1年で自分のせいで潰れた案件もありました。

自分も経験が少ない、客も経験が少ないでやり取りが上手く行けず話が消えました。

結構悔しかったです。いや、めちゃめちゃ悔しかったです。


しゃちょさんに考えて考えて考えたデザイン見せて2秒で「ダメ」って言われて終わったり

5秒で「だせぇ」って言われたりしていますし、まだ「センスは悪いね」ってことを言われますけど

まぁそれでも少しずつは成長しているのかなぁと思えたり思えなかったり。

勘で物事を何故かうまく進められてしまったりするので今は基礎ができていないなぁと

実感したから本買ったり、買ったら寝込んで全く読んでなかったり。

もうちょっとできることを増やしたいなぁとか思います。できることは多いに越したことはない。

だってソッチのほうが楽しいじゃない。

まぁでもとりあえず今は楽しく仕事出来ています。喜ばしいことだと思います。

まぁ少なくともあと1年か2年は今のところにいるでしょうからこの調子で頑張れればなぁと。

どーせ自分のペースなんて変えること出来ないんですしね。そんな感じです。


最後に。

仕事で作ったページって人に見せること出来ないんですよね。

見せてもいいかもしれないけど、なんか揉めたりするといけないので基本的には見せません。

なので個人的に作ったページを1つ。

ちゃんと「僕が作ったってSNSでドヤっていいですか?」って許可を取ったから良いよね?

ダメだったら即時消すので言ってください。

というわけで僕が作ったwebサイトです。

アコースティックトラッド楽団 東京ゴッドファーザーズ Official Website  

「いつか自分が見にいっているバンドのHPを作れる日が来たら幸せだなぁ」

と思っていたのですが、こんなに早く実現できるとは思っていませんでした。

ありがとうございました。


そんな感じです。