2015.04.04、浅草KURAWOODにて「花見酒」というイベントを共同主催しまして。

無事に終えられたのかなぁと思っております。


もともとは数人で話していて「今話している人過去に何かしら

楽器をやっていたんだからコピーバンドでも組んで出てみようか」

なんてことでイベント開こうかって話をしていたのですが、

「だったらゲストで普段見に行っているバンドさんに出てもらいたいね」

みたいな話になったらアレもコレも、となってそんだけ呼んだら

自分ら出なくていいよねってなって。

最初「O.A.で自分たち出たらいいんじゃない?」って言われたけど

「死んでも嫌だ」って断ったので普通にいろんなバンドさんに

声をかけせたせていただくことになりました。

その時点でコンセプトは「ライブハウスで出会った人たちで

自分の好きなバンドを他の人達にも知ってもらいたい」というものに変わりました。

(余談ですが出演いただいたバンド全部僕は見たことありましたけども。)


もともと僕はそういった表立って何かするタイプではないんですよね。

裏から手を回して物事を円滑に回したりするのが好きなんで。

ですが柄にもなくこういった理由でスタッフとなったわけです。

まぁ「HP作って」って言われたので「いーよー」って言っただけですけども。


振り返ってみればお声かけさせていただいたバンドさん8割方に

出演OKいただきましてありがたいことでした。

ilyoさんなんかは出れないけど代わりにって映像まで作っていただきまして。

感謝感謝です。(まぁ僕は1バンドさんしか声掛けしてないのですが。)


正直なところ出演バンドが決まった時点でひと安心してあーよかったなーって

ぼーっと思っていたのですが、告知が始まったあたりに「凄いメンバーだ!」って

Twitterに書かれているのを見て「えっ?」ってなって冷静に客観的に出演者見たら

「えっ、なにこれ凄い!メンツ豪華!」って時間差で驚いていました。

なんで僕は、他の人は知らないけど、集客全く心配してませんでした。

「コレで集まらなかったらそれはもう世界のほうがおかしい」って思ってましたんで。


まぁでも大変でしたね。僕はあんまり働いていないのですが。

僕がやったことなんてHP作ってチラシデータに起こして、CDちょっと焼いて。

それくらいだったかな?あとはバンドさんに送るメールの文章添削してって

一部から言われて日本語教室してたくらいですかね。

6人も居て分担してやってこんなに大変なら一人で企画する人ってどれだけの

エネルギー使っているんだよって思いました。尊敬です。


DTPのことなんてほとんど分からないのに何となく見聞きした知識でチラシ作って、

んで、それが出演バンドさんのTwitterに載せられているのを見たら何となく

嬉しかったです。いや、結構嬉しかったです。おお、俺の成果物が広まっとる!ってね。


イベント名の「花見酒」って僕が名付けたんですよね!

いや、イベント名どうするってなった時に「花見で酒なら花札役の花見酒しか思いつきません」

っていったらそうなったんですけど。でも今にしてみればいい名前なんじゃないかなって

思ったりします。わかりやすいしね。


んで花見なら食い物もないとダメだろってなってフードならきみさんに頼むしかないだろ

ってなりましてw いつもTwitterで美味しそうな料理の写真を見せて頂いているので

「コレは自分たちが食うチャンス」と他の人が思ったかどうかは知りませんが、

僕は思いましたw 当日もいたるところから美味い美味いって声が聞こえて、

さすがだな!って思いました。本当にありがとうございました。美味しかったです。


特典音源に関しても、わざわざ収録していただいたり、出たばっかりのCDから

入れさせていただいたり、代表曲のような曲や未発表の曲を提供していただいたり。

個人的にはかなり恐縮していました。ありがとうございます。


当日の感想はご来場いただいた方々がそれぞれ思っていただければ良いかと。

僕は楽しかったです。途中でスタッフパス無くしたので完全にただの客になってました。


本当に感謝感謝しかありません。出演者の方々、DJの方々、ライブハウスの方々、

ご来場いただいた方々、行きたいけど行けないと言っていただいた方々。

その全てにありがとうございます。



もし「また次回やる?」って言われたら「いや、大変なんでいいです」って言いますね。

でももし「次も一緒にやろうよ」って言われたら「よし、やるか」って答えるかと思います。
さっきの文章を書いて思ったことや思い出したことがあるので連投。

コンプレックスの話をします。

何度か書いていますが、このブログは対面で話すほどではない自分の考えていることや

昔あったことを連々と書くためのブログなので。


自己表現が下手くそです。思っていることを表すのが下手くそです。

小学生の時、読書感想文を書く宿題が出たら大概それは粗筋を書いて出していました。

「この時主人公がこうこうこうしてああなりました、だからこう思いました。

そのあと誰々がどうこうしてこう終わりました。良いなぁと思いました。」

コレが僕の読書感想文です。

感動を伝えるのが苦手です。昔CDを貸すときに、どんな曲かって聞かれて答えたら

俺はいつも同じことしか言わないと言われました。

「カッコイイよ」、「俺は好き」、「激しい感じ」。

その程度です、語彙力のない馬鹿ですね。


もっと絵を上手く描けたら、曲を作ることができたら、演技が上手かったら、手先が器用だったら。

何かしらかで自己表現というものが出来たのかもしれませんが、

残念なことに残念な僕はそうなれるように特に努力もせずのんべんだらりと生きてきたので、

相変わらず思っていることが上手く表せません。

だから僕はライブ見た後に感想をあまり言いません。自分が思ってりゃ良いやって思うし。



高校の時に授業で「対になるものを描け」という課題がありました。

画用紙に四角い指定されたサイズの枠を2つ描きその中に違う絵を描く、というものでした。

他の人がどんなのを描いていたかは忘れました、唯一覚えているのは

都会の風景と田舎の風景を描いている人がいた事。要するにそんな課題でした。


僕はその片方を、物差しでしっかりと測って、定規で直線を引いて16等分し、

その線をはみ出さないようにきっちり明るい色で塗り分けました。

もう片方はフリーハンドで16分割して暗めの色を適当に線をなんとなーく守っているかな

って言うくらいの感覚で暗めの色を塗りました。

んで片方に明直、もう片方に暗曲ってタイトルつけました。タイトル必要だったんで。

美術のテストは100点満点で出したら50点で残りの50点で絵の評価というスタイルだったんですが、

僕は50点でした。

俺が描いた絵の評価0点。0点ですって。すごく真剣にやったのに0点。

喋りながら適当にやっていた奴が何点かは知らないけど、きっと俺より良かったのでしょう。

その時に「ああ、俺ってセンス無いんだ」って知りました。実に残念な結果です。

多分その瞬間に僕は何かを1つ諦めてしまったんだと思います。

コレが思い出したことです。



まぁそんなこんなで未だに僕がぎりぎりのところでできる自己表現は文字を書くことくらいですね。

だからたまにこうして長々しいブログを書いて自己満の世界に浸るのです。

別にいいです、美的センスがなくても。直線が好きですから。

直線に愛を、直角に正義を、四角の中に世界を。それで十分です。

あと言葉は大好きです。言葉の由来とか気になったの調べてなるほどねーとかするの楽しいです。

Twitterとかでも出来るだけ言葉はや変換は間違わずに使おうと思っています。

「確信犯」は意味が通りすぎるので誤用の方で使っちゃいますけど。

あと、これだけは言いたいのだけど、的を得るな。的は射ろ。一番気になる。


最後に一つ伝えたいことがあります。

物差しは長さを測るための道具、定規は線を引くための道具です。

それではここいらで幕を引きます。
何が柄にも無いことかといいますと、年末なので1年を振り返ってみようと。

何で柄にも無いかといいますと、僕は1年の始まりを4月だと思っているので。

だって学校とか4月から始まるじゃん。12月から1月になったところで思うことは

あれ?結局今年って西暦何年?平成何年かはちょっと無理だから別にいいや。

それくらいのことです。

っていうか大学出てからは4月になっても何も思わないですね。

今日はいつだって昨日の続きで、明日は相変わらず今日の続きです。

でも文章を書きたい気分なので柄にも無いことをします。


ざっくり何も見ずに今年起きたことを思い出してみる。

■1月
・ノロウィルス(疑惑)で寝込み気付いたら年越してた
■2月
・前職場で仕事を干され退屈な日々を送る
■3月
・前職場退職、最終日に花束を貰い感動して泣きそうになる
・いいともが終わった
■4月
・転職活動真っ盛り、気が9割狂う
■5月
・転職先決定、浮かれる
・ダーツで負けて引っ越しをする
■6月
・仕事が始まる
・石巻に行ったらサンドウィッチマンに会う
・Yellow Studsのアルバム「Alarm」が発売される
■7月
・イエスタのワンマンが始まる
■8月
・仙台と群馬に行く
■9月
・大阪と浜松に行く
・30歳になる
■10月
・愛知に行く
■11月
・イエスタのワンマンが終わる
■12月
・食当たる


こんな感じでしょうかね?本当に7月以降は主に週末ライブに行った記憶しかないです。

嘘です、本当はもっと色々あります。書ける範囲では、ということです。

こうやって見ると、引っ越して転職して30歳になってと、賑やかしい1年だったんですかね?

まぁでも転職何回目かわからないし、引っ越しも人生で6回目(適当)くらいだし、

みんな知らないかもしれないけど、実は僕毎年誕生日あるんで、たまたま10の位が

変わっただけで別に大したことないかなって気もしますね。

今思い出したけど携帯をiPhoneに変えたのも今年ですね、どうでもいいぜそんな事柄。


仕事も順調にやっていると思います。

先日某携帯サイトを作るにあたって、同業他社はどういうページかを調べるために、

自分の携帯で色々見ていました。

その後作ってアップされたのですけど、そしたらまとめサイトとか見てる時に

自分が作ったページヘリンクが張られている広告が表示されるんですよね。

ちょっと笑ってしまいました。

何百人とか何千人の携帯にたまにそいつが表示されて、ミスったり進んでだったりで

その広告クリックして僕がコーディングしたページを見ている

全然僕の知らない人もいるんだろうなぁ、って思うとちょっと楽しいですね。


今年は良い年でした。92点をつけても良いと思います。

まだまだ発展の余地がある。

お後がよろしいようで。
(たまにTwitterで見るおもしろ画像ネタのパクリです。)
一日早いのですが、今年もこの日を迎えるなとブログを書いてみようかと。


1999年11月13日、父親を亡くしました。

今打って、始めて1999年の事だったのか、って思いました。知らなかったや。

そんなことがあった割に2000年問題の話とか結構覚えているもんだなぁと思ったりもします。

本当にあっているのかな?自信がなくなってきた。

まぁ実際問題そんなに思い返すこともないんですよね。

思い出とかは去年書いたので暇で死にそうな人は読んでみては?

去年の。


もう15年も前の話になりました。そして今年僕は30歳です。

自分の人生のおよそ1/2、父親が居ないことになりました。

厳密には9月12日生まれなんで正確に1/2ではないのだけど、

うるう年の計算とか面倒だから別にいいです。


先日なんのタイミングだったかは全く覚えていないのですが、

「あっ、俺もう父さんの声を思い出せないや」って気付きました。

うちはビデオとか撮る家庭じゃなかったんで、親戚の家に行けばあるかもしれないけど

少なくとも手元やすぐに見つかるところにはないですね。そもそもビデオデッキないし。

正直なことを言うと顔もあまり思い出せないんです。

おかんの部屋に俺が12歳の時に最後に行った家族旅行の写真が置いてあって、

たまにそれを見てたから何となく記憶にある程度で、それがなかったら無理でしたね。

今思いだそうとしたら浮かんできたのは、包帯を巻いて血で汚れている病院のベッドで見た、

見た瞬間に冗談みたいに涙が溢れでた顔でした。

だから思い出すのは止めることにします。


15年。じゅうごねん。文字にしたら短いもんですね。6文字だ。

その間に俺はどう変わったのかな?多分性格はあんまり変わっていない気がする。

久しぶりにあった友人に「性格昔より歪んでない?」って言われる程度にしか変わってない。


春に転職成功して、真っ先に思ったことが有るんです。

今年は父親の墓参りに行こう、って。もう何年行ってないか分からないです。

社会に出るまでは別に働くということに関して何も思っていなかったのですが、

社会に出てから、働くということ、給料を稼ぐということ、家族を養うということ。

すげぇことだなって思いました。

更に言うと死んだ後も母子家庭になって金に困った記憶はないです。

そんだけ貯めてたってことや、ちゃんと保険をかけていたということ。

当たり前っちゃ当たり前かもしれないけどそのお陰で今まで困らず生きてこれました。

しかし振り返ってみて我が身。

大学出ていきなり半年働かず、正社員を2年足らずで辞め、

契約社員、派遣社員、準契約社員を経てその間には合計2年以上無職の期間があって。

どの面下げて墓に参ればいいかわかんねぇやって思ってました。

今年の年末に実家に帰ったタイミングで墓参りに行けたらいいなぁと思います。

宅の息子はまぁ色々グチャグチャしてたけど、ようやく正社員として働き始めたんで

とりあえず安心してくれやって言いに行きたいです。


特に何か書こうと思って書き始めたわけではないのであんまり内容はないけど

このへんで〆させてもらいます。

年に1度くらいはちゃんと思ってみるのも悪くはないかなぁと思っているので、

思っていることを書き出してみたまでです。

人生のブックマーク。
珍しく連投失礼します。

8月が終わるということで新たな場所で勤務し始めて3ヶ月経ちました。

これでようやく試用期間が終わりました。

色々初めての体験も多かったです。単独でお客様のところに行って

あれこれするというのもなかったし、そもそもお客さんと直接やり取りするのも

始めてでした。緊張しましたよ、さすがに。

メール送る文章コレでいいですかって確認取ったくらいですから。


この3ヶ月間でも色々ありました。

横に経験の長い人をつけるから、って言われてたんですけど

その人がある日突然来なくなって、今も来ていません。

というかその席に新人が座り、俺以上に未経験で俺が教える立場になってます。

まぁ逆側に色々詳しい人がいるのであまり聞かれることはないのですけどね。

でも何となく親しみやすい感じの男の子が来てくれたおかげでちょっと

話をしたりもできるので気が休まるような感じはします。


今仕事が楽しいです。知らないことが多いせいで出来ることは少ないので

ちょっと悔しいなと思うことは有るのですが、楽しいです。

もっと色々な知識をつければもっと色々なことができるんだと思うと

ワクワクします。


いつかこの先、仕事してて辛いなと思ったら、今の気持ちを思い出せるように

ここに記しておきます。人生のブックマークです。



あー、試用期間終わったんだから給料上がんねぇかなー、ゲラゲラゲラゲラ。
20代最後の夏が終わるらしいです。以上です。

やり残したこと無いのと言われても無いっちゃないし有るっちゃある、かな?

でも別に30になってもできることなんでどうでもいいです。

20代じゃなきゃやっちゃダメってこともないでしょう?

今年の夏としては、そうめん食いまくったり、花火見に行ったり花火したり、

ボードゲームしたり、ライブ行ったり、飲んだり、ダーツしたり。

なんてことはない普通の思い出です。でもどれも楽しい思い出です。


調布の花火があった日に、家から見えるかなと思ってベランダ出たけど見えなくて、

どこか見えるところはないかなぁとウロウロしていたら一箇所だけ

ぎりぎり上の方だけ見えるところがありました。

その時思い出していたのは19くらいの夏のことでした。


家の近くで「この道をひたすら真っすぐ行ったらどうなるんだろう?」

って気になって自転車に乗ってひたすら真っすぐ進みました。

1時間位進んだら知っている場所に出たのでコメダでアイスモーニング飲みました。

さぁ戻ろうと思ってしばらく漕いでいたら正面で小さく花火が見えました。

あの花火はどこで上がっているんだろう?と思って2時間位漕いで

花火の打ち上げ場所の真下まで行きました。そこで見た花火はとても綺麗でした。


なーんにも変わってないわ、10年前と。

きっと10年後にも花火上がってる音がしたら、どっかから見えないかって

ウロウロしてるんだと思います。今更性格とかそんな派手には変わらんて。

そんな感じです。


P.S.最近はじめて会う人に何歳くらいに見えるかと尋ねたら25,6と言われます。

嬉しいです。
気づけば仕事を再開して1ヶ月経ちましたね。

厳密に言うと30日月曜日があるのですが、そんな細かいことをいう人は嫌いじゃないけど

友達にはなりたくありません。


1ヶ月経ってまぁ自分なりにはそこそこやれているんじゃないかなぁと思ったりします。

最初の2週間位は実作業はあまり渡されずほとんどの時間を本を読んで勉強していました。

これがメンタル的には相当厳しい物がありました。学校だって金払って勉強しに行くのに

何俺は金貰いながら全く会社に貢献せず勉強してんのって。

最初のうちはしょうがないというのは分かりますが申し訳なささが半端無かったです。

3週目くらいから作業を渡されて粛々と実施しております。

ようやく少し居心地が良くなったかなと思います。


会社は代表取締役を含め、常駐しているのは自分込みで7人です。

勝手なイメージだったのだけど、人数が少ないところって和気あいあいとやっていると

思ってたんですが、全くそんなことない感じです。仕事に関係ない会話は

1日に5回出るかどうかという感じで皆さん粛々と作業を行っています。

まぁ自分的にはこういうスタイルのほうがあっているかなぁという気がするので問題無いです。

この1ヶ月間で1度しか会話してない人が居ます。

髪切ったら「サッパリしましたね」って言われました。まぁそんな感じです。


今の作業は渡されたデザインをHTMLで全く同じものにする、と言った内容です。。

ある日ふと、この作業は今までの仕事の経験が全て役に立っている、と思いました。

最初と次の製品検証の仕事で表示のズレや誤記を見落とさない精度を、

次の図面確認の作業で目視で見比べて全く同じになっているか確認する注意力を、

前のHPに公開されるものを書く責任とイラレの操作技術を、

今全て使っています。「なんだ、回り道と思ってたけどちゃんと役に立ってるじゃん」と

少しニヤけてしまいました。これでますます人間としての自分に自信を過剰に持つ

痛い男になってしまいそうです。



さて、表題に書いたそもそもの理由。なんのそもそもの理由かといいますと、

「何でwebデザイナーになろうと思ったの?」という理由です。

このブログには主に自分の人生の思い出話を、特に人に対面して聞かせるほどのことじゃ

ないけど、もし気が向いたら読んでみては?というノリで書いているので今回も書きます。


が、そんなに長々としたものでもないです。

今このブログをPCのディスプレイで見ているかスマートフォンで見ているか、

はたまた別の機器で見ているかは知りませんが、その見ている画面の形はいかがでしょう?

四角いのではないでしょうか?気付いたらなりたいと思っていたのですが、

おそらく四角い画面だというのが一番の理由だと思います。

たまたまなのですが、ほぼ丁度一年前にこんなことを書きました。覚えている人は居ないでしょうが。

凡人賛歌。

HTMLに何も書いていないHPってただの白い空間が広がっているだけなんですよ。

その中に自分で領域を決めて画像を配置して文章を書いてなんかしらの技工を入れて。

何もない空間で自分が神になれるのです、所詮四角から出れないのですが。

その感覚がたまらなく好きです。そんな理由です、陳腐でしょう?


僕にはまだわからないことだらけです、知っていることでももっと良い方法を教えられたりします。

毎日進歩している実感があります。まだまだ楽しく過ごせそうです。


ま、大したこと無いことしかしてないからそんなことを思えるのかもしれませんね。
日付が変わっているので6月になりましたね。

一応6月から社会人復帰というので厳密に言うと無事社会人になりました。

まぁ今日は日曜日なので働き始めるのは明日からなんですが。

久方ぶりの正社員です。いやぁ、マジで5年ぶりとか?


新しい職場に行く、と言うのは最多になるように数えると7回目になりますね。

(最初の内定先での事前研修、1社目本社、1社目出向先、2社目~4社目、で次。)

毎度のことなのですが、やはり不安感は大きいです。

周りの人がいい人だったらいいな、とか、過ごしやすい環境だったらいいな、とか。

過去には入ってみたら(自主規制)したくなるくらい(自主規制)い人もいたので。


今回はしかし、特に不安感が大きいです。

過去に勤務した会社は全部かなり有名な会社の子会社だったので、

まぁそれなりに環境もよく設備やらなんやらも整っていたのですが、

今回行くところは勤務地にいる人は5人とかの小規模の会社なので環境面だとか

設備面だとか。人が少ないと人間関係だとか。色々気になります。


あと、明らかな自分の実力不足がどうなるかってのも心配です。

内定連絡後の面談で言われたのですが、実力自体は採用基準に届いていないので

最初のうちは良い意味でも悪い意味でも期待していない、とのこと。

今までのところは全部「そんじょそこらのやつには負ける気がしない」と思っていたけど、

今回はそうもいかなさそうで不安です。怒られたり怒鳴られたりするのかなー。


そういった面で今回は社会人最初の時に持っていた不安感に近いものがあります。

あと最初の三ヶ月は試験採用期間だと。大体こういうのは形式的で問題起こさなければ

普通に正式採用になると思っていたんですけど、今回は本当に試験採用のようで。

ダメだった場合本当にいなくなってもらうよと言われているのですよね、それも不安。


でもまぁ、こればっかりは開き直るしか無いんですよね。

当日の朝、会社最寄り駅についたら開き直れる気がします。

だから今はガタガタ震えています。結構マジで考えだすと震えますね。

なるようになるし、なるようにしかならないんです。そんなもんです。分かってます。

もうここまで来たら飛び込むしか無いんですよね。意外と飛び込んでみたら

簡単に飛べたり、予想以上に地べた這いつくばることになるかもしれないけれど、

あとは飛ぶだけ。まずは1週間、頑張りましょう!


ただひとつ、やりたいことをやるのに文句をいうダサい大人にはなりたくないです。

これが俺の決意表明だっ!ドヤッ

泣きそうな顔してたら誰か優しく慰めてくださいねw
表題の通り、あと1時間か2時間したら引越し業者が来ます。


本当はあまり引っ越す気はなかったんだけどね。

友人2名が引っ越すときにどこがいいかって聞かれて「吉祥寺でいいんじゃね?」って

言ったら二人とも吉祥寺に住み始めて、俺が家の契約更新になって

吉祥寺引っ越せよと言われたらあまり強く拒否れなくて。

「転職先が決まって今の家からとあんまり変わらなかったらいいよ」って言ったら

本当にあんまり変わらなくて。

「いい家が見つかったらいいよ」って言ったら本当に見つかって。

んで引っ越しかけてダーツやったら大敗したので引っ越します。

まぁ引越し先は最初に見つけたところじゃないんだけど、それよりも良い所だからいっか。


今の家にもなかなか思い出がありますよ。初めての一人暮らしだったしね。

引っ越し初日、引っ越しの荷物に蛍光灯を入れ忘れ別で宅急便で送ったから

初日の夜は電気がなくて「ヤバい泣くかも」と思ったらけんちゃんが電話してきてくれて、

「すまんけんちゃん、泊めてくれ」というスタートを切って。

カーテンのサイズを測り忘れたんで引っ越してから買ったんで、届くまでの2週間は

窓に新聞紙貼って過ごして。

机もベッドも頼んだ奴が在庫切れで、届くまでダンボールの上にTVとPC置いて過ごし、

ベッド無いから床に直で敷いて寝てて。


そんな適当なスタートを切ってからもう2年経ったんだなぁとしみじみ思ったりもします。

大学時代にいろいろな人の家に泊めてもらったんで、施してもらった分を人に施そうと

「俺が人を泊めるときは快適に過ごしてもらえるようにしよう!」って昔から思ってたんで

マットとか用意したら思った以上に人が泊まりに来たなぁとか思ったりもしました。



新宿区民なのに家は中野って言っててごめんなさい。でも30秒歩いたら中野区なんで。

これからは東京都市民になりますわ。

まぁどこに住むにせよ、楽しく過ごせたら良いなぁと思います。

そんな人生のブックマークをば。

15日までネット環境が無いのがちょっと嫌ですけどね、廃人なんで。
先に言っておきますが、今酔っ払いながらこの文章を打っています。

文章がおかしくても気にしたら、負けです。

あと、明日になったら「何酔った勢いで書いてんだ恥ずかしい」って消すかもしれません。

細かいことは気にしたら負けだと思います。



幼稚園の時、ピアノを習うきっかけになったのは母が兄にピアノを習わせていて

引っ越したタイミングで新しいピアノ教室に申し込みに行くのに連れて行かれて

「あんたもやる?」って聞かれた時に「うん」って言ったからでした。

この時のこと、今でもなんとなく覚えています。


中学に入って吹奏楽部に入ったのは、ピアノの練習が嫌で嫌で仕方なくて

「吹奏楽部に入ったらピアノ習わなくてもいい」って言われたからでした。


大学に入って楽器を演奏する部活に入ったのは

中2になる前に先輩のイジメで吹奏楽部を辞めて楽器を弾かない期間5年間を経て

「あ、俺ピアノ好きだった」って気付いたからでした。


軽音楽部に入ったのは、最初軽音楽部の新歓ライブを見に行って

「みかんのバンド」という名前のバンドがSEX MACHINEGUNSの「みかんのうた」をやって

「みかんのバンドはみかんのうたをやり続けます!」とMCを挟んで1.5倍速で「みかんのうた」を

やりはじめて、「この部活に入るのは危険だ」と思ってブラスバンドの新歓ライブを見に行って

また軽音楽部の新歓に戻ったら女のGt/Voの先輩がスピッツを歌っていて

「これなら入っても大丈夫かも」と思ったからでした。


バンドを組むときベースを選んだのは、顔合わせのような合宿で同じ大学の弓道部に入っていた兄を

弓道部と軽音楽部を掛け持ちしていたベースの先輩がいて事前に「面白い奴が入ってくる」と

噂を流され、両サイドをベースの先輩に挟まれて、帰りはベースパートのヘッドの先輩と

一緒に帰ったからでした。それまでベースは「ZONEの一番かわいい子が弾いている楽器」

という認識しかありませんでした。


先日「月にどれくらいライブ見に行っていますか?」と聞かれました。

4月は無職だってのもあって、数えたら9回でした。これから行くのも含めて。

それだけ見に行くのは軽音楽部でベース弾いてて、ライブが好きだったからで、

軽音楽部に入ったのは楽器弾いていない期間が虚しかったからと

吹奏楽部の先輩が嫌いで辞めたからで(駄文嫌な人じゃなかったらずっとTb吹いてた)、

吹奏楽部に入ったのはピアノが嫌いだったからで、

ピアノを習い始めたのはなんとなく気分で「うん」と言ったからで。



人生のきっかけなんてほんの些細なことの積み重ねだと思います。

そんな些細な積み重ねで、今会って楽しいと感じる人に多く出会えました。

なんていうか、不思議で面白いもんだと思いますね。


だから僕がダーツで負けて引っ越すなんて些細な事をも新しい変化ももたらすと思いますよ。

これが言いたかっただけです。