母がなくなって3年。

施設暮らしの父、未だ面会制限あり。

ただ施設から通院できるようになって、付き添いの呼び出しが増えました。


父の記憶は体調次第でいったりきたり。

会った最初はわたしが長女と認識できないことが多く、そのままだったり、ふと記憶が戻って話してくれたり。


父とは子どもころから長女のわたしは三姉妹では比べられないくらいいろいろあったので、在宅介護中は、遅れてきた反抗期の子どもみたいに父に反発したり罵ったりネガティブな感情を思い出とともにぶつけ合ったりして。

本当にわかりあえないことがあるんだと納得してからは、父と向き合うことより、父を通して自分と向き合い視点を高めながら自分の感情の奥にあるネガティブなものを理解し受け入れ認めるを深めてきまして。

結局愛し愛されているのに、自分の求めるカタチでないことに悲しみ怒りを育て、さらにお互いの未熟さに気づかず一方的になりすれ違ったり、様々にドラマティックでございました!笑

そして母が亡くなってから父とわたしはわたしの思う理想の父子関係に。

成長おめでとう!ありがとう!わたし!


三姉妹の関係も徐々に理想にむかっている感じ。

日々自分にできることをして、妹たちに期待せず見守り、ときに言葉や行動で伝えながら気づくのを気長に待つ。

妹たちはそれぞれ気づいて変わってもいいし、気づかず変わらなくてもいいし。それは2人それぞれの人生だからとはっきりと境界線がひけました。


家族のなかでの学びは人間関係の基本というか土台なのだと改めて感じています。

わたしはかなり片寄った人間、自覚して生きればよく、そんな自分を自分が許すように家族それぞれの今も許し生きる優しさを持つこと。

これまで物凄く気負って責任感に飲み込まれながら生きてきましたが、全部投げ捨て(笑)素のわたしで気楽にこころをひらいて生きていこうというところ。

父との関係改善?修復?からここまでこれました。


今、解放感を味わっています。

しかし、過去のがんじがらめのセカイも今の開放的なセカイも、わたしの思い込みのセカイ。

自作自演だとしたら、どんだけだよ!って思いますが、振り返ったとき面白かったししあわせだったんだなって思えそう。


いろんなつらさや苦しみは、ただ耐えるのではなく、日々何らかの学びや努力と改善でわずかな希望を持ち生きる美しさを与えてくれたと振り返れます。


さてこれからあとどのくらい父と話ができるのか?

父はわたしになにを見せ、学ばせてくれるのでしょう?

たくさん学べるよう、その父の愛に気づけるよう、わたしの感性をみがき人生を豊かにしていこうと思います。





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