「どうしたい?」
これは自分への問いかけ。
これを無意識に行動できる人が羨ましく妬ましかった私。
だから、「どうしたい?」がすぐできる人になりたいと思った。
なぜそんな簡単なことが私にはできなくてできる人を羨ましく妬むのか?
三姉妹長女
初孫(内外合わせ)
この環境が私に強烈にプレッシャーを与え、自分らしさは役割を担うことだと、さらに自分自身で呪いのように思い込んで生きてきた。
現実的に周囲の大人は厳しかったし期待も大きかった。
だから生きづらくて。
本当は役割の私じゃなく、本来持っているはずの私らしさを自覚しそれを誰かの役にたてたかったかったんだと今の私は過去の私のことを思う。
このことに気づき、ならそうしよう!と。
「どうしたい?」を、少しずつ掘り下げる。
役割を演じていると(←ここ!演じてるとか自然に言葉が出てくるw)、
私は「どうするべき?」であって「どうしたい?」を打ち消さなければならないと信じていて。いや、信じなければならないと自分が自分に強制してしまっていて(←呪いw)。
でもそれに反発し何かしら抗っている私が居ることを私は知っていて(ややこしや~無限大w)
だから「どうしたい?」と聞かれても答えられない。思考がグルングルン(混乱)。
多数のマイキャラ(私の人格)が大騒動。
役割の私と本来の私と仲を取り持つホワイトやブラックやグレーな私がわーわー主張し始め、結果。
「どうしたいかわからない」(重症)
そこから根気よくマイキャラさんひとりひとりの話を聞く(自己傾聴)。
日常生活のひとこまでこれをやり続ける。
すると喧嘩で成り上がった役割至上主義主役のマイキャラさんが徐々に他のマイキャラさんと調和しはじめる。
すると日常が次第に穏やかに。
それまでの私は、感情の急上昇急降下の激しさに翻弄されそれに疲れ果てていて。
無駄に苦労してたんだなとわかるように(笑)
ここまで結構な時間を費やし自分を癒す。
そのお陰で本来のマイキャラさんが浮上。
自分では無自覚に近かった本来のマイキャラさんは、対外的にはちゃんと生き発揮されていたんだと気づく(灯台下暗し)。
この自己成長を確かめるのはひとり旅に限る。ということで昨年から取り組みはじめた。
今回の1泊2日の旅で一区切りついた感。
それは、帰りの飛行機(暗示的)。
今回の旅ではわけありで飛行機の座席指定できなかったのに前方の窓際席になり、これまたわけありで鹿児島空港着陸が遅れ鹿児島では大きな花火大会の花火のフィナーレを上空から堪能。
隣席の方に声をかけ一緒に楽しむ。
「自分も周りも心からの笑顔で今を生きる」
もっともっと濃度をあげて濃く生きよう!
そう思う。
しかしまずは自分。
それを気づかせてもらえたしあわせ。
ありがたい❤️
感謝と喜びはセット❤️
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呪いとの戦いでもあった介護生活
それでも前向きに捉えてきたのは本来の私キャラさんのおかげ。