私、様々なヒトやモノに慣れるのに時間がかかります

私にとって慣れるとは
私の景色の一部になる
私のセカイに同化する
そんな感覚

慣れることに時間がかかるのは、
慎重だからだし
自分の内側を流れる時間がゆっくりだから
(気づいたのはコロナ禍の頃)

忙しいのは本当は苦手
(頑張って適応してきた、適応できてきたから違和感を深掘りしないできた)

様々なことにじっくり試行錯誤しながら丁寧に取り組みたい

ここはこうかな
そこはそうなんだね
じゃあれはどうだろう?

モノコトヒトをさっと見て少し関わって自分の物差しで思い込んでジャッジするこのセカイが苦手

本質をつかめるよう
私が納得できるよう
丁寧に五感を働かせ時をかけ理解を深めたい

それはモノコトヒトに対することだけれど
翻って自分自身の扱い方にあらわれることだから

数年前まではここに書いた部分が、もやもやしていたり、この感覚がわからなくて
自分が嫌いだったり、自分を受け入れられないと感じたことがあったりなかったり?!笑

ひとつひとつに時間をかけることは無駄だし社会の流れに逆らっているし
もっと要領よく生きれたらいいのに
と自分に対して思っていたりいなかったり

この「いたりいなかったり」は、育つ過程で刷り込んだり刷り込まれたりと本質の自分との葛藤かな?!

今はこんな風にややこしい自分が大好き
ややこしくてめんどくさい自分は面白いと感じるようになった
たぶんそういうところを経験したかったのかもしれないし
人間として生きて、他人事じゃなくて自分事として体験してみたかった
そういう物語の主人公になりたかった?笑
じゃ次はどんなことを経験しましょうか?笑

人生を俯瞰してみたり、思いっきり主観的に生きたりできるっていうのは、すごく面白く興味深い!



ライトアップされたフラワーパークで撮ったお気に入りの1枚
こんな光と暗闇のバランスが好きかもと気づいた
(私的大事件!大袈裟なくらいに!笑)


ガラケーで撮り始めた写真
写真を撮ることは面白いし楽しいと思えた
ので、長らくスマホで満足しながらも一眼に興味が出てきた
とはいえそれはただの好奇心の流行り病かもしれないからとしばらく放置
ゆっくり自己対話していくと両方の良さを使いたいと感じていたよう

その過程に様々な変化があり写真を撮ることに付随することも出てきて、それらにも慣れるまで諦めずやってみようと決めた

つまり新しいことに次々挑戦することにも慣れようと思っている自分
ゆっくり時間が流れてるわりに欲張り!笑
ということからこのブログを書くことになった今日

自分という生き物なかなか面白い
認知症両親の介護もそういえばそうだった!笑

身近なお手本の両親と大人になってぶつかりまくって成長してきた(私が私を納得できていなくて一方的に両親という高く分厚い壁に突進して粉々になりながら自己再生してきた感じ)
親にはいろんなことを学ばせてもらっていて(現在も進行中)、『今は』心底ありがたくて愛と感謝でいっぱい(経験している最中は地獄だった)
結局私は幸せ者(逃げずに向き合う経験も人として成長するためには必要だし、逆に逃げることに向き合う経験も必要)
というわけで、その過程はこちら↓をご覧ください。
よろしくお願いします!(毎度お馴染みCMです)