今朝ぼんやり頭に浮かんだのは「消費という意識」
モノではなく
人生を消費させられていない?
っていう。
そんな意識が深層にあるんじゃない?
っていう。
あれをやらなきゃ
それもしなきゃ
これもだーーーー!
とか。
いつも私はこんなに頑張っているんだから、今日こそすべての家事を投げ出して休むのよ!
これこれ!
これもそうしなきゃならないパーセンテージが多くなってない?
休むことを消費しなくちゃ!
なんのために?
そもそもどうして?
安全に生きるために守りの意識が作り上げたまやかしじゃなかろうか?
心からやりたいことをしているなら、死ぬほど頑張っても死なないし、むしろ死ぬほど頑張ってることに気づかないかも。
だって常に喜びにしかならないのだから。
それは結果的にという例外?!はあるかな。
その時は辛くても後にそれが最高のギフトだったと気づくから。
何かに没頭していても、没頭しているという消費タイムになっていないか?
自己探求は面白い。