
認知症になった母と過ごした30年。
母が亡くなって私は、
ぼんやりするのかしら?
悲しみにくれるのかしら?
なんて思ってはみたものの、そちらの実感はさっぱり。
悲しみよりは、母への感謝がわき上がる。
日々試行錯誤し精一杯やってきたので(自己比)、
母にしてみれば不満やなにやかやあったかもしれないけれど、
私は母と頑張れて満足です!
っていう達成感や喜びが感謝とともにあります。
何も知らず、どうしてよいかもわからなかった20代の私。
怒りの感情に振り回され、でも絶対にあきらめたくなくて、母に寄り添い母の死まで私なりに精一杯尽くしてきました。
私がそうしたかったのです。
だから自分軸はしっかりとあり、その道を貫きました。
けれど感情の嵐には翻弄され続けました。
もう何がなんだかわからないまま、でも決して自分が折れることは許さない厳しさで走り切った感じです。
母の死から4か月。
ようやく私の感情と私が和解できたように感じています。
感情のために生きるのが辛かったころから、今はその感情の嵐のおかげで、感謝と幸せを感じるという不思議な状況です。
感情は魂のナビゲーションというのをどこかで読んだと思うのですが、そういうことかという感慨深さ。
今、認知症介護が辛く苦しい方へ。
それはあなたの感情の嵐のせいではありませんか?
憎しみ、愛情、気力体力、あらゆるバランスが崩れ、あなたに襲い掛かってくる。
被害妄想に飲み込まれている。
「でも、本当はどうしたいの?」と自分に問う。
自分が生きてきた道を顧みる、そして今自分は本当はどうしたいのか?どうありたかったのか?
その隔たりに気づく時です。
本当は、どうしたかったのか。
本当は、どうありたかったのか。
本当は…
自分の気持ちから逃げきることはできません。
本当の自分の感情の根っこと向き合わずしてその苦しみから逃れることはできません。
それが分かったら、そんな自分をゆるしましょう。
だって生きるためにはそうするしかなかったのだから。
自分を自分で抱きしめて、頑張ってきた私、ありがとう!と感謝しましょう。
こんなにつらく厳しい日々を生きてきた私、なんて素晴らしいのでしょう。
ありがとう私!
そんなことができれば、少しは楽になります。
それは一瞬で癒されるような簡単なことでなく、徐々にじわじわとしみ込んで、日々癒し癒されるような感覚だと思います。
自分を自分で育てなおすような感じです。
自分が自分を認める。
そのことがどれほどのことか。
やってみればわかります。
やらなければ、わかりません。
投げだしたら、そこまで。
皆様の健闘を祈ります。
厳しさも優しさも同じように自分に注ぐ。
冬の太陽のような温かさを自分に自分で注ぎましょう。
そんなことを日々実践して感じる穏やかな私からの提案です。
~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~
松元佳子
☆Twitterhttps://twitter.com/YoshikoMbpe