認知症両親や祖母たち、義両親や先輩方。
私自身が歳を重ね「老い(老化)」を意識するようになって、「老い(老化)」との向き合い方はひとそれぞれ、その人の生き方そのものなんだと理解できるようになってきた。
 
25年ほど昔。
若年性アルツハイマーを発症した母が自身に起きた出来事を受け入れられなかったこと。
また周囲の家族や私自身が母のカラダとココロの奥底の痛みに真に思いを寄せられていなかったこと。
母を思うふりをしてそれぞれが自分を憐れんでいたこと。
このようなことに思いをはせるようになったのは、自分が老いを実感するようになって、カラダとココロのことを注意深く観察するようになったことが大きい。
 
また自分とは全く違う感覚や思考を持つ義父の存在は、生きたお手本として素晴らしい存在なんだと感謝できる機会が増えた。
とはいえ(?!)私にとっては癖の強い義父の生き方は興味深く面白い(ごめんなさい!お義父さん!!)
 
老いを受け入れるのは、なかなか難しい。
自分のことなのに、脳は昔ばかりを懐かしみ、今の自分の現状を受け入れることを拒否する。
老いが進むほど人は、今より過去に生きてしまうものらしい。
お手本の義父の行動や思考を観察しながら、ふと私はどうだろう?と思うと、ハッとする。
義父のことをどうとでも言っているけれども、無意識に自分もその道を歩いているぞと。
 
例えば、
昔できたことを今でもできると思っていること。
やってみると、今できない(あれ?!笑)
カラダの柔軟性とか、どうでしょう?(笑)
 
自分にとって都合の悪いことは記憶できなくなっていく。
人の話を聞けないとか、昔はすべて記憶できたことができないとか。
この二つはお手本の方がそう。
でも、よくよく考えてみると、それはとてもしあわせなこと。
素晴らしいシステム。
 
こういうことは、
少しずつ少しずつ
知らず知らずのうちに
誰にも忍び寄ってきているわけで。
 
そうして日々生きていると何かの拍子に、老いを意識できる人もいれば、無意識のままの人もいる。
 
老いを意識できても無意識でも、
その事実を受け入れられる人もいれば、そうでない人もいる。
それこそ個性。
 
そしてさらに強引に話を進め、老いに向き合うにはどうすればいいのか?というと。
「楽天的に生きることを心がける」
つまり
「今を楽しむ生き方」
 
「今を楽しめる人は老いも楽しめる」
老いに備えるなら、楽天的なココロを育てつつ、自分のカラダの現状を知り、自分らしい健康を見つける。
その時の自分に寄り添える自分を育て続ける。
 
できないことや古くなることを憂うのではなく、できることや経験から理解が進むありがたいことを大切にし、次の世代に伝えていく。
自分を大きな地球のごく小さな一部として循環させよう!(壮大!笑)
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松元佳子