認知症の当事者や認知症の家族を介護するものにとって、ごくありふれた日常はとても特別に感じ、これまでがどんなに幸せだったかを自覚する日が来ます。
家族それぞれの役割は、本人や家族それぞれが思っている以上に大きいのです。
そして、些細なことの積み重ねで日常ができていて、それをやり直す・工夫する努力が必要になります。
これまで慣れ親しんだ家族の生活が、根底から覆る残酷さです。
そういうわけだから、家族それぞれ不安や怖れで、怒りばかりが湧いてくるのが普通というもの。険悪になって当然。
それはごく当たり前であるべき姿。
でも、それでも、もう時間は元に戻せない。
今から、新しい家族を、それぞれにできることを、腹を割って話し合いながら、安心できる関係を作っていくと決めるのです。
お互いを思いやるなら、本音を話す努力が必要。
直接話しづらいなら、親族や友人、専門家を頼ってでも、今やりたいこと、やるべきことを決めていくことが大事。
少しずつ状況になれたら、きっとお互い優しくなれるときもある。
悲しいときもある。
どうしようもない不安に八つ当たりすることもある。
でもそれはお互い様。
それも理解し合おうというもの。
そしてそういうときは、誰かを頼るとき。
お互いに自分を大切に扱える環境を少しでも整える。
諦めないで、外に救いを求める。
やり方やあり方を知ったら、実践してみる。
自分たちになじむ方法を見つけ出そう。
きっとあるから。
とにかく諦めたら終わり。
何度でも、その時々、
関係者に頼る。
病院で相談する。
市区町村の介護福祉担当部署に相談する。
家族の再構築のために他人の手を借りること。
今を幸せに生きるために。
認知症の問題は、何も知らない、知識のない自分たちだけでは解決しません。
お互いに向ける愛情を、これまでの信頼関係を無くさないために、正しい知識を得、アドバイスや助けを借りてください。
それは恥ずかしいことではありません。
幸せのために、これまでの、これからの人生になくてはならないこと。
在宅介護を経験し、現在は施設で暮らす両親を見守り、感じながら、思うことです。
在宅介護は想像よりずっと苦しいし、辛いことが多いのです。
でも、だからこそ、そこにお互いの成長があります。
それは何か特別な魔法のようなものではなく、日々の些細なことの積み重ねです。
言葉や行動を変えていくこと。
それは精神的なトレーニングです。
精神的な成長は、何とも言えない喜びをもたらします。
お互いを、精神的な成長を諦めるのではなく、生き切る意思を持つこと。
そうすれば、お互いの生きる喜びを知る日が来ることでしょう。
今の私が、両親に妹たちに、親族に、私たち家族にかかわってくださった皆様方に感謝の気持ちでいっぱいだから。
今、私自身が幸せだと感じているから。
誰かのおかげさまで生かされている。
ありがたいことです。
だから、私も誰かのために、何か些細なことでもできることを喜びに思います。
両親が認知症になって、様々な経験をし、辛かったことも苦しかったことも、誰かの役に立てるのであれば、ありがたいこと。
そうすることが、人の世の習いというものなのだと。
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松元佳子
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