認知症両親の在宅介護。
辛く厳しいとき、なぜか頭の中にもやっとしながらもあった言葉。
 
「何が経験できるだろう?」
「この経験に意味があるとしたら何だろう?」
 
「死にたい」「死んでくれ」と同時に頭の中にあった言葉。
 
私が苦しいときに希望になる言葉があったんだな。
自分が決めたことを成し遂げるために、自分を奮い立たせる言葉だったんだな、当時は気づいていなかったけれども。
 
「この経験に意味があるとしたら何だろう?」
この言葉があったから、このブログを書き続けた。
認知症両親の在宅介護の様子は、ここを読めば振り返ることができる。
そうしてその後、「認知症両親の在宅介護で何を経験したんだろう?」と何度でも振り返ることができる。
その時々、振り返って違う出来事に焦点をあて、学びを深めることもできる。
 
なんといっても、これが素晴らしい。
「そうか!そういうことだったのか!」
振り返って気づきが起こり、そのことが今になって意味をなすことがある。
 
年齢を重ねるとネガティブな経験が増えるような気がしていたが、それは若さを失う実感があったときの不安や怖れ。
そんなとき、「何が経験できるだろう?」と考えてみると、自分の今を存分に味わいつくそうと思える。
どんな時も、出来事があるだけで、意味付けしているのは自分。
だとしたら、出来事の悪く思えることも、実はよいこともあると、両方存分に味わったらいい。
人生は面白いのだ!(唐突、笑)
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松元佳子