認知症両親の在宅介護。
両親や家族から、精神的、肉体的、知的諸々鍛え上げられてきた。
こんなハードなトレーニングがあったとは。
先日とある占星術師が、「どんな親子のチャートをみてもそもそも分かり合えないようになっている」などとおっしゃっていたが、それが事実かどうかはさておき、そう考えると楽だなと妙に納得した。
親という存在から生まれてきた自分という存在でさえ、親と自分の違いに驚いたり、絶望したりするのは至極当然で、それこそが生きるために必要なこと?!
それで、親と自分の違いを書いてみると、同じようでいて「違う」ことは多い。
(一方、本質的には同じだなというところももちろんある)
この「違い」を受け入れられないと、介護が辛い苦しいになる。
振り返ってみるに、まったくその通り。
「どうしてわかってくれないの?」
「なんでこんなことするの?」
「なぜこうなるの?」
などなど、家族という親という存在なのに同じじゃない、わかりあえないことにイライラ悲しみ恨みつらみがあふれた。
さて大切なことは、「違う」ということを前提に、分かり合おうとすること、コミュニケーションをとり深めることだった。
これも振り返ってみると、そこだよな~と実感する。
前提をどこに置くかで辛さも苦しさも変わってくる、自分も相手も変わらないのに。
「違い」を受け入れるというのは、お互いを尊重する客観的な視点を得るということ。
自分や相手を根本的に変えようとするのではなく、「違い」に対応するにはどうすればよいか?を考え行動していく。
そう考えると自分と「同じ」という考えは、自分も相手も苦しめる危険な考え。
自分と相手は「違う」から、自分を丁寧に伝えたり、相手の話を丁寧に聞いて、自分との誤差を修正していく。
するとお互いに理解が深まり円滑な関係を築くことができる。
自分も相手もより深く知ろうとする姿勢が大切。
(とはいえ、これを身に着けるのはなかなかに難しい。これまでの思考癖のしつこさ!笑)
これまでの経験や学びがつながって、「あ~そういうこと!(納得)」となることが増えた。
年の功とはこのことか(笑)
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松元佳子
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