この頃つくづく感じているのですが、家族を大切にする自分を好きだな~と心底感じるようになりました。

 

それまでは、なんだか自分より家族を優先してしまう自分に納得いかないと感じていたのです。そういう風に育てられたから仕方なく義務を果たすみたいな感じ。

 

しかし。家族を大切にすることを義務みたいに思っていた自分が、自身の終活を始め、人生を振り返ってみる機会を得たら。

それをきっかけに、自分史を振り返る出来事とたびたび遭遇。

 

そのことが私にとって物凄く重いことで、怖いというか、やりたくない、という抵抗が毎回なんとなく湧いてくるのです。

初めはさらっと履歴書のように書き出すことはなんとかできました。

けれども詳細に掘り下げていく作業に入ったとたん、まったく作業なのに前に進めることができなくなりました。

胸の中から怒涛のようにマイナスの感情がこみあげてきたのです。

ひとつ思い出すと、また次のひとつが思い出され、苦しい悲しい辛い妬み恨み、家族それぞれ持っていた感情と見たくない自分があぶりだされます。

まるで認知症両親の在宅介護で一日に何度も味わったジェットコースターみたいな嫌な感情が思い出されるのです。

そんな嫌な自分と戦い、何度も何度も挫折しては立ち上がるを、これまた何度も繰り返し、なんとか初めての自分史をまとめるのに一年かかりました。

 

しかし自分史をまとめたおかげで、次から次に過去を嫌な過去だけでなく楽しかった過去もたまに思い出すようになりました。

そこで腹をくくって(笑)自分のネガティブな感情と向き合ってみることにし、再び振り返りを始めます。

 

これがまあキツイのなんの。

その振り返りの時の感情の高ぶりが日常にもたらされると、日常でも何かが起こるわけです。

「なんで私ばかり!」というのを振り返ってどっぷり浸かりようやく自分なりに「ああ、こういうことだったんだ。それは仕方なかったよね。」なんて納得したつもりになっていると、お試しみたいなことが今起こる。(ということに気づいたのは、さらに1年後くらいw)

様々な感情を振り返り焦らずじっくり昇華していく。

 

ネガティブな感情は自分が自分を守るために、潜在意識の中に眠らせるようなんです。

それで、さらにその繰り返しがありさらに深層意識に押し込められていく。

それを何度も自分史を振り返り、様々な出来事を感情とともに振り返っていると、意識の上のほうから順番に上がってくる感じでしょうか。

それを丁寧に自分で拾い上げなぞって、認め、流していくを繰り返す。

そうすると、源にたどりつく。

結果自分というものが、よく見えてくる。

 

そうして私が発見した私は。

家族を大切にする人生を送りたいと願っていたということ。

その視点に立ってみると、辛いと思っていた子どものころの体験があって、その家族ひとりひとりのドラマとともに私は成長してきていて、家族を大切にするということは、自分にとってどういうことなのか?という本質に気づいたように感じます。

 

親に仕向けられたけれども自分でつかみ取った、家族を大切にするという本質。

そういうところにしんみりじんわり感動します。

 

それを掴むために日々一緒に過ごし語り学び合うパートナーがいるという心強さ。

生きてきてよかった。

自分をあきらめないでよかった。

生きているって素晴らしいことなんだな。

普通がいちばん。

そんなことを心底感じることができる。

 

それはつまり、自分という存在を自分が認め慈しむこと。

周りがどうこうじゃなく、自分が幸せを感じる。

本当に自分の心の在り方次第。

 

言い尽くされた真実を、体験し、自分を成長させ続けるために、生きている。

どんなときも今ある目の前の出来事を体験するしかない。

それは悲しみであればネガティブであり、喜びであればポジティブ。

だけれども、それ自体自分には選択できないとき、ことがある。

それを体験するのが生きるということ。

 

自分を幸せにできるのは自分。

そのためにするべきことは、自分史を何度も振り返ってみること。

その振り返りを客観的に俯瞰した視点でとらえる。

そうすることで、自分という人間をより深く理解し、大切に扱えるようになる。

その過程で自分が大切にすべきことがわかってくる。

 

すると、私が家族を大切にするとは?の本質を知り、現在をそれを実現できているなと気が付いた。

これでよかったんだ!と安堵する。

 

こんなことを考え感じる自分はややこしいしまどろっこしいし面倒くさくもあるけれど、「それが私の人生なんだろうな、まあ良いじゃないそれで。」という妙な納得感が今の自分にある。

 

認知症両親の介護を通じて学んだことが、私の人生のテーマを知る最善だった。

どんな誰の状況もその人の最善のためにあるのだとしたら、目の前のことに真摯に向き合い、自分を偽らないでまっすぐでいることが大切。

 

それは自分ひとりで頑張らなくていい。

そのために家族や友人や知人がいるのだから。

一緒に頑張る。

自分と相手との距離感やその密度は人それぞれ。

自分を知りながら、お互いを尊重し続ける。

それが共に歩む人生。

家族も自分も大切に。

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