母に若年性アルツハイマーの症状が出始めたのは、ちょうど今の私と同じ年でした。
その時私は25歳、人生の楽しい盛り。
大学卒業後念願の一人暮らしを貧乏(笑)ながらも楽しみ、毎日必死で働き遊んでいました。まさに青春♪
その時母は孤独に自分の異変に動揺していたのだろうか?
こうやって書きながら母と私の当時を振り返るとなんとも言えない気持ちになります。
今の私は母の当時とは正反対、自分にわくわくしています。
その一方で「人生いつ何があるかわからない」、祖父(母の父)の言葉を思い出します。
ああ!本当に!
母と共に歩いてきたこれまでは、アルツハイマーに関しては苦難の連続でした。
でも。
今、それまでの日々が不幸だったかというと、実は幸せになろうと精一杯の努力を厭わずまっすぐ生きてきて、良い時間だったなと思います。
二度と経験したくないですけれども(笑)
アルツハイマーになった母が、母ではなくなったのか?というとそんなことはなく。
母に病気の症状が出ると辛いけれども、そこはなんというかお互い様なのかな?
私は母にどんなときも母らしく居て欲しいと願ったし、今でもその願いは変らないのです。
それが母の望む人生とは程遠いものだったかもしれないけれど、こうも長く共に時間を過ごし、傍で母を見つめてきたことは有り難く素晴らしいこと。
母の後ろ姿を見て育った私は、家族で力を合わせて母を支えていけるよう、努力を重ね「どうすれば最善か?もっとできることはないか?」を常に自分に問い、家族ひとりひとりに手を差し伸べながら、母の残りの人生も家族それぞれの人生もより良く!と願い祈り心を込めて過ごしてきました。
今は介護付有料老人ホームで暮らす両親。
常に「この選択で良かったのかどうか?」と思うのですが、家族それぞれの人生を考えてみると、「上出来だよ!」と思う(笑)
施設で面会するとき、母は私を認識するとそれまでの強張った表情が緩み、調子が良いと笑顔で笑い声が出ます。そのとき私は母の灯になっているなぁと思うのです。
そうして、これまで私が生まれてからずっときっと私は母の灯だったに違いない、とふと感じました。
これからも私は母の灯でいよう、一瞬でも母を明るく暖かい灯となって照らそうと思います。
しあわせは、今ここにある。
母と一緒にしあわせを慈しむひとときを大切にしよう。
今週末も母の笑顔に会えますように♡
このブログを書く前に、とあるカードを1枚ひきました。
そのカードからこの思いが引き出されたのでした。
その話は、明日書きます(たぶん、きっと、もしかしたら、、、w)
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松元佳子
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