まずは下記リンク先を読んで欲しい。
“マイノリティ“は、つらい状況を生き抜く知恵を持った先駆者だと思うんです。レビー小体型認知症である樋口直美さんが発信を続ける理由

樋口さんの存在を知ったのは、親友の紹介だった。
親友は樋口さんご本人のお話を聞いて樋口さんの書籍を私に紹介してくれた。

若年性アルツハイマーの母が病気のことを頑なに認めず、病院受診さえせず、家族の説得も受け入れず、途方にくれた十数年が経過し、遂に介護が必要になっていた頃のこと。

もっと早く樋口さんのことを知っていれば、母に優しく寄り添えたに違いない。母を守ってあげられたかもしれない。母の人生を豊かにしてあげられたかもしれない。そんなことを少し思ってしまった。

けれどもそんなことよりは、当事者の方が勇気をもってお話されていること、経過を本におこされていることに驚愕した。
当事者のご家族の素晴らしさに感動もした。

当事者のお話は、私にとてつもない勇気を与えてくれた。
さらに。
認知症の両親を支えること、
妹たちや家族と力を合わせること、
両親の様子から調子や伝えたいことを察してさりげなくサポートすること、
たくさんの学びのヒントをいただいた。

学びとヒントの宝庫といえば。
今年3月に発売になった樋口さんの書籍誤作動する脳
とても素晴らしいのだ。
思わずノートをとりながら読んでいる。
そうか、そういうことか!
そういうことがあるのか!
あー、だからそんな言葉や表情行動になるのか!
病名は違っても脳の機能異常である両親とも重なって感じることが多岐にわたる。
この本を読むことで、両親への対応がより柔軟にできたに違いないと確信する。

脳の病気は、出来ないことやできなくなることにフォーカスし、取り戻そうとしてうまくいかず絶望することが多いと思う。
でも両親に寄り添ってきた私にとってそこは、もうどうしようもないから受け入れるしかない部分が多くあった。
過去に出来たことに執着するより、今、そして次を考えたい。

どうやったら不快に感じることを、少しでも快適にしていくか?何か工夫できることはないか?
常に共同創造していくことにフォーカスしよう。

「こんなのはどう?」
私が言うまでもなく、きっと両親それぞれに次のアイデアはささやかにさりげなく生まれていたりする。
私はそれがあることに気づき、両親それぞれに生まれた小さなアイデアをひろいだし、ともにもっと快適を求めて試していくことができると信じた。
本当にちょっとしたことで見逃していることにそのアイデアがあったりする。

樋口さんのように、注意深く自分を見守り、分析し、対応策を考え、実行し、改善していく。
常に自分に寄り添って無理をしない。
この姿勢を学べば、今の連続である日常がその人らしく生きるに自然と繋がっていくはずだ。

けれどそれは簡単なことではない。
むしろ真逆だ。
その積み重ねに救いの光がさしてくる。
次第に明るくなっていく。
孤独から救われるのだと思う。

両親に寄り添ってきた日々は、特別なことも日常になればふつうのこと。
そのふつうをより快適にアイデアを出しあい、できるだけ自立的に生きるのがお互いを尊重することなんだと思った。

どんな人も依存して生きるのではなく、尊重し尊重されて生きることが、それぞれその人らしい生き方ではないだろうか?

振り返ってみれば、しあわせかどうかはわからないが、充実していることは確かな日々だった。
苦しみのなかに、アイデアがひらめき、希望と絶望を繰り返しながら、バランスをとって生きる。
結果、常に精一杯生きて学んで自分を成長させてきたな。
私はこんなことを思った。
みなさんは樋口さんのお話に何を感じ何を思うのだろうか?
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松元佳子