からの続き
家族と介護の悩みが「お姉ちゃん」の呪縛が因だったとは?
それはたまたま最近学んだことでやっと理解でき腑に落ちた。
「お姉ちゃん」の呪縛はわかっていたものの、その奥をまだ見ていなかった私。
そのことも含めて私生活に支障が出ていると気づいていたものの見ないフリをしていて。(怖かったからw)
昨年永瀬一代さんの『家族の心理学講座「自分編」』を受講してから、自分の内側に溢れる思いが眠っているとついにギブアップし(見ないフリをしていた部分)、丁寧に紐解いていく中で出てきた答えのひとつめ。
「お姉ちゃんなんだから!~」に傷つき、苛立ち、怒り、恨み、妬み、疲れ果て、お姉ちゃんをずっとやめたかった。なのに途中で投げ出すことができない。ずっと演じてきた自分を手放すのが怖かったから。だからずっと「しっかり者のお姉ちゃん」を演じ続けた。
本当の私は、繊細で怖がりでとてもネガティブな部分が多くある。と同時にポジティブな面もあり、責任感が強く負けず嫌いで、楽しく面白いことや美しく綺麗なモノが大好きで、目に見えないものを感じ取るチカラが強いとか(笑)
しかし、両親は本当の私であることを許さなかった。両親の望む「お姉ちゃん像」を求められた。
これが「お姉ちゃんの呪縛」。
しかし!その先がまだあったのだった。それがふたつめ。
両親の死に向き合う怖さ
介護の先にあるのは、「両親の死」。
どうあがいてもこの事実は、いつか確実にやってくる。
「死」は生きているものにとって、逃れることのできないもの。
生きているから死ぬのは当然。
なんだけれども、それは世間的にタブー視されていること。
誰もが自分は大丈夫と思い込みたがる。恐いから触れないようにしている。
それを、「お姉ちゃん」の私は祖母たちをはじめとする親族や家族に若年性アルツハイマーになった母の、その後脳血管性認知症になった父の、生きることを助ける責任を押し付けられた気がした。
「お姉ちゃん」である私は両親の死までその役目から逃れられない。いつまで続くか、何が起こるかわからない不安を、怖れ悩んでいた。
母の病気の責任を長女の私が背負わなければならない、という空気が祖母たちや親族や父からまでも無下に漂ったときの圧倒的な圧力は、今でも忘れられない怖ろしさ。
両親にいつか訪れる「死」。
私は、その責任を負って在宅介護できるのか?
恐くて仕方がなかった。
この時、両親の「死」に対する私の責任について安心して相談できる誰かを私は想像できなかった。母の病院受診の相談で今でも忘れられない嫌な思いを何度もしている。
「死」はわからない。
だから本当に怖い。
寝ている両親を見て、生きているのか?と不安になり、確かめる。
そんな日々を長く過ごした。
「死」を怖れる日々。
ストレスでどうしようもない。
両親の死への怖れを認めたとき少し楽になった
最近新たに学び始めたことで、「死」への不安や怖れの取り扱い方があった。
その話を聞いたとき、「ああそうか!そういうことだったのか!」と妙に納得した。
私はお姉ちゃんだから両親を「死」なないように介護しなければならない。
自分で自分に重圧をかけていた。
そして両親の「死」を避けるために、ありとあらゆる勉強と努力をした。
「お姉ちゃんだから」の責任を逃れたくて、避けられない「死」を避けようと努力したこと。
苦しくて苦しくてどうしようもなかったのは、両親の「死」が怖かったから。
「死」を受け入れられなくて、「死」の責任を逃れたくて苦しんでいたのか!わたし!
ああ、そうだ。そうだったんだ。
わたしは「死」が怖い!
そうつぶやいた。
ノートに書いた。
あれ?なんだか私ホッとしている?!
怖い気持ちに蓋をしていた。
その蓋を私は開けたんだ。
そうしたら、開放感。
自分の「死」については、終活してエンディングノートを書いている。
案外いつ死んでもまあ人生そんなものだろう、くらいに感じている気がしている。
終活してからやりたいことはどんどんやるようになったし、内側の自分と語り合うようにもなった。
だけれど、親のことは別だった。
気づいただけでだいぶ楽になった。
つまり私は、両親を深く愛しているんだ。
愛があるから生まれる感情。
改めて感じることができてしあわせだ。
学ぶことは大切。
知ることも大切。
恐さに触れることも大切。
その怖さは人の本質につながっているから。
こんな話がしたくなったら、わたしと話してみませんか?
きっとホッとします(笑)
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松元佳子
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