このときわたしは注意していたにもかかわらず風邪でダウン。
妹三女が両親と同居していたものの、仕事がハードな時期で遠距離マイカー通勤だった。
家では寝るだけ。
その寝る時間を削って、両親のデイサービス準備だとか日常生活の確認をしていた。
そもそも妹三女の転勤が決まった時、彼女は転居するつもりだったが、父がどうしても家から通って欲しいということでそうなった。わたしも当時認知症両親の介護がひとりでは不安で、父のように妹三女に頼んだ。
当時は妹たちとの関係が不安定で、三姉妹で協力して介護するといっても、妹たちそれぞれの事情もあり、お互い思いやって譲り合うゆとりが少なかったかもしれない。
それでも私自身はあきらめることなく、家族の本質とアルツハイマーの母の症状緩和対処法について追及していた。
自己の内面を磨き、ストレスケアをしながら、親からも自分からも逃げることをやめ、自分と向き合う日々だった。
今思えば、このときのわたしの精神的成長に合わせて、妹たちにピンチ(チャンス)が訪れていたのかもしれないw
このような不意打ちの事件とも言うべき出来事が起きるたび、わたしも妹たちも精神的に成長していった。
少しずつコツコツとコミュニケーションの取り方を工夫したり勉強したりして、実験と検証を繰り返し、手ごたえが少しずつあったからだろう。
今は、仲良く三姉妹協力しあっている。
良い家族になった(笑)
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松元佳子
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