認知症両親の在宅介護は、わたしが思っていた両親の理想の老後とは程遠いものだった。
理想とはいってもある程度現実を理解しつつだったのに残念なもの。
 
 
母が若年性アルツハイマーの症状を呈して以来、わたしのメンタルはひどく不安定になった。
まだ20代後半になったばかり。三姉妹の長女。父は長男で跡取りなのに自覚なし。
結婚も迷った。
わたし自身は本来婿養子を迎える立場だと知っていたが、幼少期から祖母に跡取り息子ではないことをなじられ続けたことと、父がまったくそのことに気づかず守ってくれなかったことを恨んでいたので、それだけは断固拒否と決意していた。
 
父はわたしが社会人になって間もなく脳卒中で倒れ長期間のリハビリを経て職場復帰。それがっておそらく母の病気の引き金となり、父が倒れて1年後には若年性アルツハイマーの症状が始まった。
 
頼りにしていた母がおかしくなっていく。
だが家族は、とくに同居している家族は母の現実を受け入れるのに時間がかかった。
まず認めたくない、受け入れがたい、そんなはずはない、そういう感情で約10年。
そしてこれはわたしには不思議だったこと、同居していた家族は壊れていく母の言動行動に徐々に慣れていったものの、感情的に母の病気を受け入れられない状況がその後5年くらい続いたように思う。
 
母の症状がではじめたころわたしが苦しんだのは、母の状況をまるごと受け入れたのがわたしだけだったこと。
相談できる人がいなかった。
協力できる人がいなかった。
 
苦しみとは、
・母が自分がおかしいことを理解しているのに、病院受診を頑なに拒否したこと
・父が母がおかしいことを全否定し受け入れられないことが続いたこと
・妹たちが気づくのを怖がっていたこと
 
妹次女は結婚を考え始めた数年後、わたしとともに母の病気に向き合う覚悟を決めた。
その後父と妹三女を説得することができなかった。
2人を説得できないのに、母を説得することは不可能。
 
家族の中でいちばんしっかりしていた母。
実家では第一子で家族に尽くしてきた母だったし、父と結婚するまで働いていた母の収入は父よりはるかに高かった。なんでも努力を怠らず器用にこなす人で目上の人たちからの信頼も厚く、それだけ母のプライドは高かった。
 
家族の中がこの状態で、さらに母の親族から母を病院受診させるよう会うたび、ときに電話や手紙で攻撃された。いや攻撃されていたわけではない。でもその当時は、相手が人でなしの鬼に思えた。それくらい精神的に追い込まれていった。
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松元佳子