再放送 総合2020年1月16日(木)午前0:55~1:44(15日深夜)
 
を書きました。
今回は長谷川先生のご家族のことばでわたしの印象に残ったものを。
 
・信頼関係
・向き合うことへの不安
・外出時家の鍵を何回も何回も確認して時間が過ぎる
・経験していないことをしているという
・先生の権威・威厳をサポートする
→父親の尊厳が失われていくことを受け入れられない
・講演会で打ち合わせと違う順番で話し始める先生をみて
→父なりの判断だった、理由はあった
 
どこをとっても共感するばかり。
わたしより先生のご家族は優しく穏やかで素晴らしい。
ご家族の心の芯は、揺るぎない感じがした。
常に先生のやりたいことを優先させサポートする。
受け入れる器が大きい。
先生の楽しみを陰になり日向になり支える。
特に奥様がピアノを弾く様子は心打たれた。
音楽を奏で聞くことはいつも優しい気持ちになる。
 
わたしはこの番組で家庭での様子を拝見させていただいたことでとても癒されました。
ありのままの家族の姿を見せてくださってありがとうございます。
テレビ番組とはいえ、貴重で尊い経験でした。
 
 
そうして思ったこと。
さてわたしはどんな気持ちだっただろうか?
どういう風に接していただろうか?
 
わたしははじめ、
認知症の親の言葉や行動が受け入れらず、受け入れ難く、自分の苦労ばかりが心を占めた。
 
次第に認知症の親の言葉や行動を受け入れるようになり、自分と親の生活のバランスに苦しむようになった。
できるだけ認知症の親に寄り添いたい。
親ができることは親に任せ、見守るだけにする。
けれど、見守ることが大切とわかっていても、その見守る時間を作るために自分が我慢したことやものの数が増えるにつれ、激しい感情が湧き上あがり感情の葛藤に忙しくなる。
 
出来る範囲で認知症の親に寄り添いの尊厳を守ると割り切る。
 
認知症の親ができることもできないことも、笑いに変えて常に笑いのある時を過ごすことを心がける。
認知症の親に心地よい刺激になるようなこと、安心することを一緒にする。
認知症の親が不安にならないようわたしの存在、日常の動作など常に自然な言葉かけを続ける。
認知症の親の調子の良し悪しを見極め、対応を合わせる。
親にわたしを合わせるとき、わたしの基準を持つ。
諸々我慢の限界を超えないよう調整する。
 
 
この過程でわかったこと。
長谷川先生がおっしゃっていた「見える景色は変らない」
ということ。
認知症の親と双方向の関係ができたことで実感できるようになった。
この言葉の意味は深い。
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松元佳子