考えすぎの行き着く先は単純だった。

いま目の前のことを楽しむために集中する


わたしの内面の感情を押し殺して

わたしの追い込みや
親からのあるべき姿の押しつけや
近しい人たちからの期待や
社会の常識や

わたし以外の外側の人たちの意見や意思に惑わされていないか?

わたしの感情や思考は、
わたしにしかわからない。

だから
わたし以外の誰かの感情や思考は、
わたしには真に理解できない。

それで
わたしのいまは
まわりに誰がいたとしても
わたしだけのもの。

一緒にいて
食事をしながら
おしゃべりして
笑いあっていても
黙りこんでいても

感情や思考のわきたつ場所や
流れ行き着く先は
本人だけのもの。

相手を思いすぎると
依存になる。

相手を無視すれば
孤独になる。

わたしにとって
ちょうどいい
楽しめる
いま
とは何か?

みんなひとりで生まれてきたから、
ひとりで生きることができる。

でもそのひとりで生きることは、
学ぶ必要がある。

学びを見守り、
時に助け、
励ます。

それはおたがいさま

学んだら、
さらに先を学び続ける。

わたしを知りながら、
わたしを楽しむ。

それはつまり
いま目の前のことを楽しむために集中する
ということ

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松元佳子