認知症両親の介護を在宅介護していたころ。
いろいろなことがありましたが、
両親の症状の変化以外で
最大の転機はそれまで実家に住んでいた妹三女の転勤でした。
4年前の春。
妹三女は離島に転勤。
三姉妹力を合わせて頑張ってきた。
その一人が抜ける。
わたしは大きな不安に襲われました。
それまで妹三女は、
父の強い要望で実家に住んでいました。
当時妹三女の職場は自宅から50km超えマイカー通勤。
仕事は早朝から深夜までと超多忙。
実家に住んでいながら両親の介護はほぼできない状態でした。
しかし妹三女が夜間だけでも実家に居てくれたことで、排泄介助や声かけで大きな安心になっていたのでした。
そのためわたしが同居することなく実家近くに住み両親の介護ができていた。
血管性認知症要介護4の父とアルツハイマー型認知症要介護5の母。
わたしひとりでは手に負えず、妹次女と協力していました。
その妹次女は、実家まで25kmほど離れた場所に住んでおりマイカーで1時間弱。
妹次女とわたしのふたりで両親を支える自信はありません。
なぜならすでに両親の介護サービスは限度額の上限を超えており、さらに自費負担もしている状況だったのです。
わたしと妹次女の体力と気力が保たれその先何年も介護できるのか?
明らかに無理。
両親が一瞬に暮らせる施設探しが始まりました。
前途多難
過酷な介護と施設探しの幕開けでした。
つまり介護をする人の備えは、自分の体力気力がまだ大丈夫なうちに施設探しを始めるか、協力してくれる家族の人数を維持または増やせること。
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松元佳子
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