旅のことばカードから私の話を書くブログシリーズです。
旅のことばとは?認知症とともによりよく生きるためのヒント
【自分の日課7】
ちょっとしたことでも毎日コツコツと。
本来なら父や母それぞれのことばを綴るものですが、父や母を見守ってきて感じたわたしのことばとして書き記してみます。
ほかの人にしてもらうことが多くなってきました。
自分でしないほうがよいかと思って必要以上に任せていると、今できることもできなくなってしまいます。
そこで。
・若年性アルツハイマーだった母
私が母と一緒にいるときは、家事を手伝ってもらうようにしました。
母自身がやりたいことやストレスが少なくできることをその時の母の調子に合わせて、わたしが判断しながら一緒にやります。
母の日課だったことを「わたしがやった方が早いから」と無理矢理取り上げていたことに気づき、それがどれほど母にとってショックな出来事か理解できるようになりました。それからは、これまでのわたしの「お母さん」と同じように、母に「頼む」ように日課をしてもらい「感謝」できるようになりました。母に日課をしてもらうことは「ごくふつう」のことなのですが、「認知症は病気」という知識が事実を捻じ曲げることもあるのだと知ることでもありました。
母は生きている限り母にとっての日課はあり続けます。
母が母なりの日課を続けるというのは、「ちょっとしたことでも出来ることがある!」ことに気づき続けることであり、コツコツすることが母の自信につながったり喜びになり、母の存在意義に感謝できる私のこころをも育てています。
・脳血管性認知症を発症した父
一方父は、できることも家族やほかの人がしてくれるなら「嬉しい。有り難い。」と思う人です。「面倒くさがり」と言います(笑)
家族が話し合い、父ができることをいかした「日課」を父に提案するのですが、断られてしまうことがしばしば。
そんなときは、父にはっきりと「できることをしないとできなくなるよ。それでもお父さんがいいなら、しなくてもかまわない!」と結構強めに言い捨てることが度々ありました(汗)
やはり実家にタイプの違う認知症の家族がいるというのはわたしにとって大切な親ではあるけれども、相当のストレスとなっていました。
内心、もしも自分が父の立場だったらと思うと、もやもやしましたが、自分の気持ちを隠せなくなっていました。
ところがそれは、いい方向に働いていたと今は思えます。
お互いのこころのうちは話さなければわからないし、家族だから言えることもあるからです。
実際最終的には、「面倒くさがり」という父の性格を父の生き方だと受け入れることにしました。
日課を提案することは私にできることで、もしも父がその選択肢に気づいていないときは「ありがとう」ですが、父が知っていて行動しないのは父の自由だと思うようになったからです。
人はやりたいことしかやらない(笑)
誰もどんなときも自分のことを自由に決めることができる。
それには、その人なりの生き方のポリシーを常日頃表明していることが大事だなと思うのでした。
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松元佳子
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