2011年6月の日記を読み返していたとき、すっかり忘れていた事実が書いてあったので忘備録とお役立ち情報としての2つの観点からブログに記録。
 
母の独語や暴言に出てくる登場人物?主役?が数人いるのですが、そのひとりの登場人物を探り当てることで母のトラウマを推測したというお話しです。母自身のトラウマを推測したからといって実際の母への対応に毎回必ず活かせるか?というとイエスでもありノーでもあります。
というのは独語や暴言は、母の作り話であったり無意味な話ではなく、根拠となった出来事から現在の母の感情や体感とリンクする場面で発生すると私は分析しているからです。例えば、痛みがあるとき、身体の痛みが訴えられず独語として発することで、その痛みを間接的に訴えていると捉えることができるから。
このことから母の独語や暴言を何かのサインと捉えて推測することで、現状の母の不快を解消することができるかもしれないと連想します。母の不快を解消できれば、周りの人も母の独語や暴言の不快から解放されます。
 
では、2011年6月の日記より。
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母の独語を私と妹三女と私の夫と3人で聞いていたので、母の独語の話は過去のどの時点の出来事が原因なのか気になって、母に私と妹三女で質問してみました。
母が会社勤めのころからどんどん時代を遡ります。
どうやら、小学生になるかならないかくらいのころのトラウマになっている出来事を話していると推測されました。
独語を吐いてるときに質問すると怒りながら、けれども母は答えるんです。間違っていたら、「違うっ!!!!!」と鋭い否定が入るし、あっていたら(母がそんなような気がしたら?!)「そうかもしれない」みたいなことをちょっと考えながらいうんです。
ここで助かるのが、母の昔話を妹三女はなぜだかよく知っていて(妹三女は就職するまではお家大好き両親大好き人間だったので様々話を両親に聞いていたらしい)、そのことを思い出しながら妹三女が母にあれこれうまいこと聞きだすんです。母が妹の質問を理解できていないと私が感じたら補う質問をしたりして、私と夫が母の話を照合していく。
そして行き着いたのは、母のトラウマとなった出来事でした。
小学生になるかならないか小さな女の子だった母。
母の実家の近所に住んでいた恐らく精神障害のある棒などを持って暴れまわる男性に親がいないときに襲撃されたというトラウマ。その襲撃でもしかしたら暴行(殴る蹴る?)されたこと、その男性の襲撃をかわせなかったことを両親に怒られたこと、かばってもらえなかったこと、などがトラウマになっていたようなのです。
そうとう怖かったに違いない。
母を守ってくれる大人がいなくて、だまって恐怖に耐えた小さな女の子だった母。
その男性は、普段は家の中に閉じ込められていたらしいのだけれど、家人の隙をついて頻繁に脱走していたらしい。男性の家人が探し回って捕まえにきていたそうだ。
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ここまで。

母の話で、いつも決まって独語や暴言のでるときのおじさんはその男性だったということがわかりました。
ボケてなお癒されない母の記憶=トラウマ。
 
このトラウマから推測する現在母が激しい独語を発する理由。
このトラウマに類似した感情つまり恐怖や恐怖と思うような体感が母にあったのだろうか?
母の体調を細かく観察する。
母の行動上に恐怖を抱いてしまうような他者からの言葉や行動があったのか?
トイレ介助をしてもらったときに、優しく介助されず強引に衣服の着脱や清拭などがあったかのか?
母の意思に反して強引に椅子に座らせられたのか?または立たされたのか?
母に対して名乗らず声掛けせずいきなり触れられてびっくりしただけなのか?
そういう考えられる理由ひとつひとつを推測し、母に言葉と優しい身体へのタッチで確かめていく。
これで母の暴言や独語がおさまることが多い。
お互い原因がわかれば納得できることがある。これは精神衛生上お互いに非常に大切なこと。
 
根気よく原因や理由を調べることは、独語だけでなく暴言暴力の予防に効果がある。そうすれば、介護するほうも介護される方も快適に過ごせる時間が増えるというもの。それが「ささやかなしあわせ」なのだ。不快を減らし快適に生きることの基本は、このようなことにあると私は信じている。
 
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松元佳子
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