父の命の価値を真剣に考える機会が私には、3回ありました。
1回目は私が24歳、父が脳卒中で倒れたとき。
その時父は奇跡的に回復したのですが、そのカギを握っていたのは私の決断と行動でした。
2回目は私が45歳、父に脳腫瘍が発見されたとき。手術について判断を迫られたとき。
父は75歳。
あと何年生きることができるのか?
父の生にどのような価値があるのか?問われました。
3回目は私が46歳、脳腫瘍の手術の後遺症?で水頭症が疑われたとき。
水頭症シャント術をすることの必要性を考えました。
2回目の脳腫瘍、最初は開頭手術次にガンマ線手術が提案されました。
腫瘍が年齢にしては急激に成長したため2つの提案がありました。
その時私は、
主治医の話を聞き、
様々な検査に付き添い、
状況をしっかりメモ。
次の通院までに、
専門書やネットなどで脳腫瘍やその手術法やリスク、後遺症など個々のあらゆる情報を集めそれぞれの可能性などを調べました。
そのうえで脳血管性認知症の父に理解できるよう話をし、意見を求めました。
怖がりで依存心の強い父は自分で自分の命の判断ができず、その話をするたびに怒りだす。しかしわたしは父に粘り強く話し、なんとなく理解した父の意向を踏まえ、私が主導して主治医と話すことに。
認知症の父が手術をし延命することの意義。
父本人の意思。
母の意思。
支える家族それぞれの覚悟。
経済的な事。
3回目は2回目同様。
父自身はただ自分の痛みから解放されたいという身体的欲求を私にぶつけてきました。
この時父と私は「死んでくれ!」「殺してくれ!」などと物騒なののしりあいをしたのでした。
本気でお互いそう思っていました。恐ろしい。
きれいごとで済まされない高齢者の命の価値という現実にぶち当たった私。
命に価値や値段はあるし、それを支えるのは家族なのだと思い知った出来事でした。
あとどれくらい父は生きるのだろう?
あとどれくらい母は生きるのだろう?
どう生きたいのだろう?
どう死にたいのだろう?
それを私は経済的に精神的に支え続けられるのだろうか?
そしてこのことは自分にも当てはまることなのだと強く実感しました。
自分の判断が両親の死を決めるという自覚をもって、日々を過ごす。
わたしにとって「死を想う」のは案外日常だったりします。
あなたはどうですか?
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松元佳子
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