認知症両親の介護で私が学ぶこと。
それは私の目の前の事実で、
現在進行形で、
私が向き合おうと決意していること。
このブログは認知症両親の介護を通じて、
自分をじっくり顧み、
気づきや学びを書き綴っている。
認知症両親との関りは、
自分にとって想像をはるかに超える厳しさだった。
それは現在も進行形。
その想像をはるかに超える厳しさは、
日常生活を送るうえでさまざまな事象に及ぶ。
自分でさえよくわからない自分を見つめながら、
両親という自分をこの世に誕生させた存在を、
なんとか自分の知る範囲で理解しようとしたところで、
できるはずもない。
両親の何を知り、何を知らず、
この現在を少しでも快適に生きることができるよう
わたしが手をつくすことができるのか?
このことが私の人生にどういう価値を与えるのか?
また見出すのか?
さらに、それを周りの人にいかすことができるのか?
本音でいうと私はそういうことを幅広く思考している。
そのために自分が今向き合うことは何か?
常に問いを持っている。
同じことで堂々巡りをしないよう、
短い人生を自分の思う豊かさで満たせるように。
自分のやりたいことを実現し続けた結果が今の私。
これから望む自分を実現するために今何をするのか?
認知症両親の介護で単純なこと複雑なこと、
様々なこと学び続けている。
親の介護で成長するのは、私。
老いていく姿を強烈に見せつける親。
自分がとらわれているものから逃れられない親。
ただそう見ていただけだったものが、
それは親自身が逃れようと思えば逃れられたことで、
逃れない自分を親自身現在も選び続けているに過ぎないということを知る。
それを親が選び続けた結果としての現在を、
子だからと言って私が簡単に変えることなどできることではない。
私にできることは。
親の歩んだ人生に寄り添い、
親の選び続ける人生に、
少しても希望の明かりを照らし続けること。
それを親が拒否するなら、
私はそこに存在しなくていい。
そっと親の選択を見守り続けるだけ。
人はひとりひとり違う。
それでよいと知ること。
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松元佳子
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