両親と接する時大切にしている介護の基本は、
あらゆることを意識的にすること。
意識的にひとつひとつのことをすると、
両親の気持ちに圧倒的に寄り添うことができるようになるから。
 
日常生活で無意識にできることは、たくさんあります。
というより、無意識でできることのほうが圧倒的に多い。
それは奇跡のような魔法のような状態。
 
奇跡?魔法?
信じられませんか?
 
奇跡であり、魔法であると両親を見ながら気づいたことです。
あらゆる病気の方々も、その病気の部分について、そう思っていると思います。
無意識にやりたいことができるなんて、奇跡で魔法のようだと。
 
両親は、
当たり前にできていたことが、なぜできなくなったんだろう?
 
きっとそう思って歯がゆい思いや様々な不安や怖れにさいなまれているに違いありません。
その不安や怖れは、症状の進行に合わせて長短はあると思いますが、薄れたりあきらめになっていくように感じます。
 
自分が無意識でできることを、意識してみる。
すると、なぜあのようなことをいうのか?
なぜあのような行動になるのか?
そういった疑問の理由のヒントが見えてきます。
 
そのヒントを見つけたら、
意識してその行動をシミュレーションしてみる。
そして両親に確かめてみる。
そうだったのか!
違うのか!
この繰り返しで検証していく。
 
無意識を意識するとは?
「ペンを持ってください。」
どうですか?
すぐ持てますよね?
 
私の父だったら、
「ペンを持って!」
と私が言ったら、
「ペン?」
一瞬迷うかもしれません。
ペンとは何か?と。
 
私の母だったら、
「ペンを持って!」
と私が言ったら、
「ぺん、ぺんね」
調子がよければ、私の言った言葉を繰り返します。
でも
ペンが何かはまったくわからない。
「お母さん、ぺんだよ!ペンを持つの」
母は、
「ペンね!ペン!」
とオウム返し。
私のことをみているだけで、すぐそこにあるペンをみようともしない。
それがペンだとわからないから。
 
また「持つ」という行為についてもわかりません。
母にペンを渡して持たせようとしても、
それが何に使われるものかわからないので、
用途に合わせた持ち方ができません。
なので、強引に持たせようとしても調子がよくても戸惑いが見られる。
 
母はきっと次のように思う。
「これは何だろう?これをどうすればいいのか?わからないから嫌だな。」
もはや母の日常にペンを持たなければならないことはありません。
なので、昔のようにペンを持つことができにくい。
 
両親にとって意識できることは何か?
を探るために私が無意識にできることを意識的に想像してみる。
 
このひとつひとつの積み重ねを経て、両親とできるだけ長くコミュニケーションが取れるように努力と意識的な観察を積み重ねています。
これがわたしの寄り添う介護の基本。
 
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松元佳子