幼稚園に通う頃には、
「どうしてわたしは生まれてきたのだろう?」
と自分の生に疑問を持っていました。
その疑問は日々大きくなり、
おそらく実家を出るまで日々こころにあり。
その疑問が再び大きくなって、
魂を揺さぶられる思いになったのが、
母が若年性アルツハイマーになってその症状が進み、
にもかかわらず母がそれを受け入れられず、
病院受診を拒否し続けた時期から数年前まで。
自分の人生を生きてる気がしなくて。
いつも親の心配をして。
その親を心配したりする周りの人間に振り回されて。
やりたいことをやりたいと言えず。
誰からも何も認められないみたいな思い込みにとらわれていた。
それが、今じゃ。
何をするにしても。
「わたしはそれをやりたいのか?やりたくないのか?」
という確認をするようになって。
タイトルのような疑問を抱くこともなくなってきた。
「やりたいことをやればいい!」
そしてインフルエンザの咳に悩まされながら、
「今日も咳三昧、すごいね!からだって!」
感心していたりする(笑)
寝ているより、座っている方がラクだとか。
お水をこまめに口に含むといい感じだとか。
たまってしまったメルマガを掘り起こして読んでみたり。
うとうと居眠りしたり。
そんなゆったりした時間の過ごし方に罪悪感を感じることなく、
のびのび過ごす。
じわじわこみ上げる幸福感。
自分をしばっているのは、
そうでなくては生きることができないと思い込まされた自分で、
こうあるべきと作られ与えられた自分で、
本音の自分じゃなかった。
誰かに(親とか)わたしを認めてもらうのではなくて、
自分が自分であることを認めていなかったから
「どうしてわたしは生まれてきたのだろう?」
なんて思ったんだろうな。
誰かの思う自分が自分だと思い込んでいる限り、
自分の人生は歩めないんだろう。
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