認知症両親の介護では、自分のメンタルに悩まされた私。
それは私自身が精神的に自立した大人ではないと自覚していたからなのだと今頃思います。
そして親もまた精神的に自立した大人なのかどうか?
 
今日どこかで読んだ文章に、
「成熟した大人は誰かに認めてもらう必要のない、すでに充足した人である。自分が充足しているので、自分よりも相手を優先することができ、相手からエネルギーを奪うのでなく、喜んで与えることができる。我慢しているというのは、充足していない状態なので相手に与えることができない。まずは自分を十分に充足させることが優先されるべき。それが精神的に自立した大人である。」
というような内容があったのです。
 
それで思ったのは、私は小さいころ両親特に父親に長女であることを厳しく躾けられていたので、ずっと我慢ばかりしていました。親から何も我慢せずとも存分にただのひとりの子として認められ与えられるという経験がないので、親から認められるために日々頑張るを繰り返し、その呪縛を自らにかけ続けていたのだなぁと。
 
それで、親はどうだったのだろうかと考えてみると。
親もまた戦争を経験し、様々な我慢をその親に強いられたのだろうなと。
そうすると、私ばかりでなく親もまた満たされない人だったか!と。
 
直感ではなんとなくわかっていたことを、今日の文章で読んだことで、納得することがたくさんありました。
身の回りに居る、表面上は与える人のふりをして人から奪うことばかりを考えて行動する人の実態を知った気がしました。
知ることで、不用意に奪われないようガードすることができる。
 
思えば、認知症両親の介護では私には与えてもらった実感の少ない親に、なぜ自分がこんなにも自分の時間を与え続ける必要があるのか?と奪われる意識が大きかったので、それに無自覚なうちはメンタルの悩みを無駄に消耗していたんだなと。
 
無意識に親に認められたい「見て見て!かまって!かまって!」の気持ちのあらわれを他人にしてしまうというのは、精神的に自立していないということ。満たされない人自慢だった。
こういう気持ちがあることに気づかないと、生きづらいんだな。
 
ということで、認知症両親の介護を通して、成熟した大人つまり精神的に自立した大人に成長したのではないか自分と思った私でした。
 
晴れ晴れとした気分のわたくし(笑)↓
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松元佳子