排泄ケアについて、
排泄ケアでなくても、
施設で働く人の仕事に対する意識のレベル
が違いすぎることがなんとも悲しい。

 

私が近頃感じるのは、
特に、女性は手を抜きたがり、
人の目が届かないと手を抜き
人目に付くと言い訳ばかりするが、
注意されても、家族が気づいても、
知らんぷりで自分に都合よく解釈して
スルーする。
 
そして
案外男性は丁寧に仕事をする人が多い。
性の違いがわからない男性は最低だけれども。
そういう人は超適当だ。
仕事うんぬんの前、
人としていかがなものか?レベル。

久しぶりのお天気で
妹次女が母との約束を果たしたいと
朝メールで連絡してきた。
 
それは、母にとって活動しやすい
暑くも寒くもない季節に、
お花を見ながら公園を散歩すること。
 
昨年から母が車に乗ると車酔いをする
ようになって、
母との車での外出がなくなっていて。
両親の暮らす施設からは
車以外での外出方法がないので
私と妹次女はとても気になっていた。
 
だから、
母が車酔いをする原因を、
あれこれ考え、
全ての理由を除外する方法で
少しずつ試してみることに。
 
それで、
母との約束をできるなら果たそうと
思っていて、
母もその気持ちは同じようで、
今日お試しすることになった。
 
食後数時間が経過し、
母の健康状態がよければ、
妹次女の運転で施設にいちばん近い
公園に外出すると決めて、
施設の方々に許可を頂き、決行。
 
施設から最寄りの公園までは高低差と
カーブが多く続くので、
車酔いが車に酔う条件はかなり整って
いるため、
母も私たちもどきどき。
できるだけ低速度で重力加速度が
かからにように、運転。

私は母に始終話しかけ、
手を母の肩や背中、お腹太ももと、
触りながら、
筋肉の硬直や体全体の様子に意識を
集中。
適切な言葉かけで気分も盛り上げながら、
からだの不調から気をそらすように努力。
 
なんとか無事に公園に着き、
母の大好きなお花を愛でて、
公園を歩き、
施設内の売店でお菓子を買い、
無料のお茶(お茶の産地なので、
無料のお茶もとっても美味しい!)
を頂き、ゆっくりお茶タイム。
 
そうして存分に外出を満喫して
施設へ帰る。
 
アルツハイマーの母にとって、
車の乗降もまたかなり難しく、
そこは母に届きやすい言葉にして、
要領よくささっと快適に。
車酔いもなく一安心。
 
が、施設の玄関から先に進もうとせず、
頑なになって。
頑なになったとなぜわかるのかというと、
母のからだ全体が硬直し、
神経が過敏に反応し、
嫌だオーラを全身からまき散らす。
 
そんな母をみて、
母はこの施設で厄介者扱いなんだなぁと
改めて実感して悲しくなる。
 
母が長く通ったデイサービスでは、
何人ものスタッフさんと愛情を通い合わせ、
心を通じ合わせていた母なのに、
この施設ではそういう人がいないんだな、
と母のからだと興奮の状態を実感。
 
母は愛情深い人なので、
相手が誠意をもってお世話したら、
その気持ちがちゃんとわかる人なのです。
気持ちがわかるからこそ、
相手を思い、お世話がしやすいように、
合わせることもできる。
 
どんなことも、
優しい言葉選びと適切な表現なら
理解し協力する人なのです。
 
どうやらそれが分かる人がいないらしい。
介護専門職の資格があっても、
人の気持ちを理解できるかどうかは別。
ちょっと悲しい母と姉妹。
 
出かける前に、
排泄チェックは重要で、
それはもちろん健常者である私たちも
同じであるように、
母にも
「お出かけするからトイレに行こう!」
と気軽に誘い、母も承諾してくれる。
 
けれども、
最近の母はトイレを嫌がることが多く、
トイレで用を足すときも落ち着きがなく、
不安定になり、
最後のリハパンやパッドの段取りになると、
暴れだすこともある。
 
それは、
母が何か嫌な思いをしたというトラウマの
裏返しとも考えられる。
 
実際、母のリハパンや着衣が
整っていないことが多くあり、
パッドにいたっては、
裏面が肌に当たっており、
違和感から母が暴言を吐いていることも
ある。
 
そのことをケアマネに伝えたけれども、
周知徹底された様子は見えなかった。
 
そういうことが、
理解できない担当者がいるというのが、
家族としては理解できにくい。
お金を頂く仕事としてやっていること
に対して責任を果たせないって
どういうことだろうか?
 
確かに、
排せつの介助は難しい。
けれども、それが仕事なのにできていない。
恥ずかしいことではないか?
 
家族だって、
排泄ケアは苦手だ。
それでも家族であっても、
それぞれの人としての尊厳を守って、
介助している。
 
気持ちが入らない介助に対して、
母が抵抗するのは当たり前。

だって母にとって、
排泄ケアをしていただくということは
屈辱的なことかもしれない。
自分でできないことを、
申し訳ないと思っているふしがある母なのだ。
 
そういう相手の気持ちをこころにとめて
相手にも自分にもプライドをもって
すること以外に、大切なことがあるだろうか?
人との関係を築くというのは、
こういうことだと私は思っている。
 
自分の都合を相手に押し付けることなく、
相手の尊厳を守って、
自分の尊厳も守って、
対等に対峙すること。
 
そういう関係が築けていないので、
母が玄関で抵抗した。
 
そこをうまく取り繕って、
だけれども嘘はつかずに正直に、
母を部屋へ誘導した。
 
その後の母は、終始不安定。
出かける前の排泄ケアで、
母がリハパンの中のパッドに
大便をしていた。

便秘薬を服用していて、
水分が十分にとれているらしく、軟便。
肌にもパッドにもべったり。
それを痛くないよう、
母に状況を適切な選び抜いた言葉で
解説しながら、
母の身体状況や
顔の表情を細かく感じ取りながら、
優しくそっと丁寧にふき取っていたら、
肛門ではなく尿道あたりの陰毛に
べったりと便の塊が乾燥して
数センチにわたって付着。
これが自宅ならすぐにシャワーで
洗い流すところだけれども、
ここは施設。

スタッフは家族が排泄ケアを
しているのに、
ただ「大丈夫ですか?」というばかりで、
実際の様子をみてサポートする気はゼロ。
こちらは自前で調達している
おしりふきで丁寧いにふき取るも限界が。
 
その後、今日はお風呂の日でしたと
言いに来たのに、
結局外出を進められ、
帰ってきたあとに、お風呂はなし。
不信感しかわかない。
 
いくらできた責任者上司がいたとしても
実際に現場で働くものに意思がなければ
ケアはできない。されない。
 
そういう現実を改めて感じて。
がっかりするし、
やはりわかっていても自分を責めたくなるし、
母に申し訳ないなと思ってしまう。
 
排泄ケアが適切にされなければ、
それは感染症となって、
病となる。
母にとってつらいことだ。
 
諦めずにこれからもちゃんと伝えて、
改善されるよう最大の努力をする。
自分が気持ち悪いから。
母が少しでも基本的な人権を尊重され
快適に過ごせるように。

言葉の使い方は本当に難しい。
そして自分との折り合いの付け方も、
母との関係も、
妥協点というとちょっとニュアンスが
悪いかもしれないけれども。
そういうものの着地点を見極め、
精度を上げていく作業は、
根気と試行錯誤の連続だ。

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松元佳子