アルツハイマー型認知症の母が、
帰宅妄想でよく行方不明になっていたのは6年前。
捜索願は3回くらいだったかな。
自力で探したものは、カウントできない程多数。
ご近所、町内会の皆々様のおかげ様でございます。
では、さっそく。
 
~~~ここから。
2010年9月夕方
母、行方不明。
父と2人で外出中に行方不明。
私に母行方不明の連絡が来たのは、
行方不明からおそらく数時間後、妹次女から。
そして電話から約30分後に、発見されたと妹三女から電話。
つい今し方。
 
またしても、警察のお世話になったのでした。
妹三女が、警察に母を迎えに行くと連絡があり。
 
わたしは、電話で話を聞くだけ。
ボケはじめた父の話じゃわからないし、
妹たちも詳しいことはわからず。
 
今日は実家に行ったほうがいいのかなぁと迷いつつ、
行かないことにしました。
(実家に着くまで3時間ほど)
いろいろ大変だけど、今日は妹たちにお任せ。
 
いろんな思いや考えが浮かんで消えて、ぐったり…。
こんなときは、見つかって良かったと思うしかない。
妹三女が警察から帰ってきたら、何かわかるかも。
しばらく、連絡待ち。
 
なんて日だ!
脱力…。
 
数時間後日記の追記
 
父がいつものように地元デパートの理容室に
母とカットに出かけた。
カット終了後、父がトイレに慌てて入り(父、トイレ近い人)
母もついて入って後ろに立っていたらしいが、
用が終わって振り返ったらいなかった。
母が父のかばんを持っていたので(父が母に用足しの間持たせた)、
財布や手帳などない状況。
父はすぐそばの売り場の従業員に事情を説明して探してもらうよう頼んだ。
しばらく一緒に探したが見つからないので、
従業員のアドバイスにより父は近くの交番に捜索願を届け出た。
交番から戻って、さらに捜索。
そこでようやく娘に連絡することを思い出し、
ズボンのポケットに小銭入れがあるのを発見。
その中に多少の現金と私たち娘の連絡先の電話番号を書いたメモを探し出し電話した。
 
この電話だけど、
公衆電話を探してデパートの外にいるあたりが、
ボケてるよな~!!
デパート内に公衆電話はあちこちある。
 
父はまず自宅に電話したが妹三女は爆睡中で出ず。
妹次女に電話して、母が居なくなったと報告だけした。
わたしに電話をかけてきたけど、公衆電話ですぐきれる。
父とわかっただけで終了。
妹次女が父にひとまずデパートの案内所に行って
妹三女がくるのを待つように指示。
(話をきいたら、昼ご飯食べてないというし、
足悪いのに歩き回ってきつそうだったから、
ここで死なれたらいかん~と案じた)
 
結局母はデパートの4階で従業員に発見され
(行方不明になってから約3時間後)、
総合案内所でデパート名物のお饅頭とお茶をいただき
従業員の方々とおしゃべりしながら、
父や妹三女を待っていましたとさ。
 
妹三女は警察で書類を書いて、両親を迎えにデパートへ。
 
デパートの従業員が駐車場まで
父を車椅子に乗せて送ってくださったそう!
(父は脳卒中の後遺症で右足が悪い)
従業員の皆様のあたたかい気持ちと行為に支えられたのでした。
有り難いことこの上なし。
~~~ここまで。
 
この時の課題、行方不明のリスク管理。
・当時の父、ちょっとボケてる状態でした。
が、そのちょっとが致命的だったというか。
携帯電話を持たせていたのですが、
この日に限って、不携帯。
持ってたとして鞄の中だったので、使えなかった。
 
・母の衣服すべてにネームが付いていなかった。
ネーム:住所、電話番号、名前を書いた布
 
この行方不明事件が続いたころは、
帰るときは必ずハグしてました。
「これが母との最期かもしれない」
 
行方不明時の家族の心労は計り知れません。
 
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