自分のこれからの生き方を考えるようになったのは、
認知症両親の介護を20年以上にわたってしてきたから。
毎日親の食事を作り、おむつを替え、洗濯と掃除に追われ、
いつ終わるかもわからないのに、
自分の100%以上を親の日々の生活に尽くす毎日。
この状況に我慢できなくなった私でした。
 
じゃ、どう生きたいのか?
それもわからなくなっていて。
考えたって無駄だから。
3姉妹の長女として厳しく躾けられた私には、
両親を最後まで責任をもって見届ける義務感が
植え付けられており、耐えがたきを耐えるしかないと
思っていたから。
 
でも実際は、そんなことはなかった。
耐えなくてもいいし、100%以上尽くさなくていいし、
自分らしく素のままであっていい。
そんなことを伝えてくれる人たちに出会えたから。
 
それは自分がまったく知らない人たちのいる場所に
出かけたから。
慎重に選んで、この人たちなら、って思える場所に。
自分が会いたいと思う人のいるかもしれない場所に。
 
自分の気持ちも経験も次に進むにはもう十分だったからかな?
そこに会いたい人がいました!
そして素敵な人たちとつながっていきました。
 
そこにつながるきっかけは。
自分の気持ちを相手に押し付けるだけを卒業して、
両親の気持ちを第一に考え、
私が尽くしたい尽くし方で、
自分のために両親の介護を全うしようという覚悟
で日々を過ごしてみたから。
その日々の中で、自分の心境に大きな変化が起こりました。
何事も人のせいにしないで、
すべては自分の決めたことだから
すべては自分に帰ってくるのだと受け入れられるようになり。
後悔はなくはないけど。
それも結果だ。
精一杯やったと思えるまで続ける。
適当にやったら、適当な結果しかない。
それも自分が選んだ!
受け入れるしかない。
虚勢をはって、
見栄をはっても、
事実は変わらない。
両親それぞれの命の時間を握らされた私の判断で、
相手を家族を左右するんだという自覚。
大変だけど、それを選んだのは自分自身。
違う選択をすることもできる自分。
怖さに流されこのまま惰性で生きるのか?
自分の命を縮めないために
違う道を選択する怖さを選ぶのか?
結局どちらを選んでも怖い。
ならばチャレンジする怖さを選ぼう!
それが自分の素じゃなかろうか?
 
そうしたら自分の素で生きるってこういうことなの?
ってちょっとずつちょっとずつ体感できるようになり。
それもこれも行動することの積み重ねで、
自分の気持ちの塩梅を知ることができるようになるんだと実感。
 
チャレンジし続けると、
いつの間にか自分にちょっとずつ自信がついていて。
おどおどしてた自分が堂々としてる感じがして。
気持ちがおどおどしても、
なんとなく大丈夫のベールに包まれたような安堵感を感じて。
誰がなんといおうと、
自分の素のままに、
こつこつ自分なりのチャレンジを続けることの素晴らしさを知る。
自分を隠さなくていいし、
調子に乗ってるとこも見てもらって、
笑ってもらえたらラッキー。
自分の目の前の人の笑顔は、
自分の笑顔でもある。
素の自分でいる人に
誰も抗うことはできない。
素の自分でいる人は、
どっしりと安定してる。
自分もそうでありたい。
そういう道を進んでいるんだな。
そんな今は、変な生きづらさがなくなってきた。
しっかり根を下ろしながらも軽やかに上へ延びる木々のようにありたい。