認知症両親の介護がいよいよ修羅場に入ったころから、
これまで押し込めていた喜怒哀楽の
「怒哀」の感情が爆発することが多くなった。
 
しっかり者の長女という役割を押し付けられて、
その期待に応えられるように必死で、
これ以上余計な役割を与えられないように
自己を表現しないように気を付けて生きていた。
それは自分の生き方じゃなく、
親の望む生き方だったんだと今は思う。
 
そんな生き方を私に強いた両親の、
自分で自分の命の判断ができなくなった両親の、
認知症という強烈で鮮烈な老いや、
その状態でも命尽きるまで生きる、
そのことに立ち向かった。
 
いよいよ下のお世話が修羅場化し、
一日中実家でただただ掃除洗濯に明け暮れ、
「こんな毎日私は生きてる意味がない。」
「こんな親、死ねばいいのに!」
「この日常はいつ終わるんだろうか?」
未来どころか自分を信じられなくなった。
 
なんとか自分を保てたのは、
その思いを打ち消すために音楽を聴くようになったから。
携帯音楽プレーヤーをイヤホンで。
 
音楽を聴くと、
こころのブレーキが外れるらしく、
それまでずっと押し込んで隠してないことにしてた
怒りと哀しみの感情があふれ出した。
 
気を緩めると、
音楽を聴きながら、
ひたすら涙が止まらなかったり、
号泣嗚咽してることも。
 
なんでこんなに涙があふれるのか?
自分の内面に深く潜り向き合い続ける。
それが自分にとっての癒しだったよう。
 
この半年でこの怒りや悲しみと向き合う
状況は随分と落ち着いてきた。
だいぶ昇華できて来たのかと思ってた。
 
でも今朝かさこさんのブログ
「自分のことを正しく理解してくれる人などいない。
だからこそ自分のことを発信しなきゃダメだんだよ」
http://kasakoblog.exblog.jp/24605123/
を読んで、まだ違うものがあると気づいた。
見る人を射抜くような自撮り写真と文章。
本音で自分の本質を貫く生き方を厭わない人が
発信する言葉は強烈だ。
読み手の魂を揺さぶる。
 
読み進めながら嗚咽。
「怒哀」を無視して40年以上過ごしてきた私には
まだまだ向き合って昇華していくことがあるんだ。
もっと身軽になれるよう、
こころの断捨離続けていこう。
そのために私はブログを書きたいのかもしれない。
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