これまで両親と過ごしてきた日々をもっとわかりやすくアウトプットしてみたい。
そういう想いを現実にできないかな?なんて頭の隅っこにぼんやり思い描いてた。
どうするんだろ?
こうやってブログを書いてるけど、それはまぁ自己満足や記録、愚痴だった。
だけど、アウトプットするということは、自分以外の誰かのために書くということ。
他者目線。
ふーん。
そんなわたしが、今日自分主催のお茶会してる不思議。
不思議だけど、心地よかった。
自分が欲しかったものを作れるという喜び。
この喜びには熱はなく、ただ穏やかで居心地良い。

認知症両親の介護では、不足欠乏ばかりの日々だと感じていて。
「私が求める問いに答えは、ない」
「自分がなんとかしないと何もはじまらない」
「自己責任」
「やってみるしかない」
「できなくてもやるしかない」
もう四方八方分厚い壁で閉じ込められて息もできなくなりそうだった。

それが今年になって、「求めるものはある」って思えるようになった。
相変わらず両親の命の責任を負うおもさはかわらないけど。
やっと私の求める問いに答えのヒントを持った人たちに出会えるようになった。
それは、自分の世界を広げる決意をし、できるだけ強がらないで素の自分で行動しようと思ったから。
自分を取り繕って強がって生きてきたのは、そういう風に仕向けられた面とそうせずにはいられなかった自分とのせめぎあいだったのかな。
でも、介護生活の地獄っぷりに、取り繕ってなんていられなくなった。
爆発しちゃったんだ。
一度爆発しちゃうと、自分と自分以外のラインみたいなものへの判断する機会が減って楽になったのかな。
良い悪いという判断のもつドロドロねっとりした感覚。
ただそういうのがあると存在だけを感じる感覚。
そんな違い?

一歩踏み出せたのは、まわりのいろんな人たちの後押しと応援のおかげさまで。
出逢いのたまもので。
その方々から支えあう優しさ、思いやりの本質を教えてもらってる状況だな。
恵まれてるな、幸せだなって本気で思った。
自分がアウトプットすることが、相手のためでもあり、自分のためでもあるんだなという実感を温かく感じることができました。