母の日1~2週間前から悩んで、当日。
感謝を伝えたい母がたくさんいるこしょこと松元です。
幸せな悩み事、母の日の贈り物。
あ~なんて美しい表現!

時間(+現金)こそが最高のプレゼントじゃないかと思うこの頃です。
お母さんをひとりにしてあげるとか、お友達と遊んでもらうとか、家族みんなでわいわい過ごすとか。
それができないから「モノ」というプレゼントで悩まなくちゃなんない。

自分の母はボケちゃって長く、義母は他界しており。
昨年に至っては、母の日も○○も何もないくらい介護生活ずぶずぶ泥沼にはまっていました。
考える余裕ほぼなし。
感謝と愚痴は伝えてましたけども。
「生んでくれてありがとう」
「だけど、こんなに苦しい介護生活とは思わなかったよ、お母さん」
本音すぎてすみません。

こんな私や妹たちを励ましてくれ、母代わりに遠方より贈り物で誕生日を祝ってくれ、介護の苦を労わってくれ、ごちそうしてくれたりする親族の叔母さま方に恵まれておりまして。
特に、遠方なのに贈り物までしてくれる叔母たちには、母の日に毎年ちらっと贈り物をしています。
せっかくの贈り物。自分の目で確かめてこれなら!というものを探し歩いて、相手を思って過ごす時間ていいな♪と思うので、自己満足の権化みたいな贈り物。
おもい?うざい?でもやりたいから、やる!
今年はぎりぎり間に合いまして、「届いたよ~ありがと~」の電話とメール、ほっとしたのでございました。
その他の叔父・叔母さまたちにも、会えるときにプチなプレゼント、「感謝の言葉」はし放題!

行事となると面倒くさいと思うけど。
相手から時間と手間と愛情を頂けるというのは、すごく幸せなことだと両親の介護を通して感じることができるようになったのかな。
介護をしていると、「ないもの」ばかりに気がいってしまい。
どんどん自分を憂鬱の闇に追い込んでしまいがち。
そんなことに焦点をあてていたら、無駄に死んでしまう=私の人生終わっちゃう!ので。
「今あるものをそのままに大切にしていこう」と思えるようになることで、日々の暮らしを少しでも快適にできるんだなーと学んだというか、思うことで幸福感があるよなというか、そういう方向に自分を誘導してきた感じ。

そこが、ハッピーの始まり。
周りがちょとずつ見えるようになったし、自分はいつも誰かに支えられて、この程度で済んでるな!と(比較してマシと思わないとやってられない介護の現実)。
そうしたら、叔母たちに話ができるようになったし、話したらできることをしてくれたり、具体的な使えるアドバイスをくれたり、関係を発展させることにつながったり。

何より、自分が母親を求めてたんだなーと気づきました。
いつも自分が母親の役割を家族の中で担ってたから。
甘えられる母が欲しかった☆
ま、実際母は生きてるし、甘えられるので甘えますけど、なんか冷たいんだあの人。
ボケてても娘長女には厳格さを!っていう。
感謝はしてくれてるって伝わるけど。
わたしは甘さがほしーーーーいっ!お母さんっ!