私の脳で起こったこと 
レビー小体型認知症からの復活 樋口直美著 ブックマン社


この頃認知症関連の本は増えた。
私が参考文献を探していた16年前に想像できないくらいに。
10年前だって、大型書店の一角にあるかどうか?
専門書例えば、医学看護などの分野でも数冊もなかった。
脳関連や看護についての本のほんの一部に数ページ書いてあればいい方だった記憶がある。
ネットもしかり、欲しい情報、対処法や本人はどう感じているのか?という具体例を観察した記録もなかった、探し出せなかった。
それが、現在はそれだけで本棚がいくつか埋め尽くされるくらいに介護関連などの書籍は増えている。認知症関連のブログも驚くほど増え、分類さえなかったころとは、様変わりしたことを実感したのはつい最近。
ま、それ自体はいいけれども、内容として現在介護している家族にとって有用な情報はというとまだまだだ!と思っていた。
認知症家族連絡会とかなんとか団体もだいぶ前からあったけど、ちょっと調べたり聞いたりした話では自分には合いそうもないとあきらめた。
だいたい病院受診してもいまだに医師と話がかみ合わないと実感すりことばかり。
ほんとに病気と真剣に向き合っていますか?
人として患者を診ていますか?
家族の想いを訴えを汲み取る情報を持っていますか?

母はまだ50代前半での発症だったし、地方だったし、保健所だって専門の相談員もいなかったし、専門医といったら精神科医で、まるで他人事のように通り一遍のことしか言わなかった。
患者の苦しみや悩み、家族の苦悩なんて、「知るか!」ってむちゃくちゃ感じ悪かったという印象しか持てなかった。
だから、自分の中では絶望しかなく、きっと母も私以上に絶望していたのかもしれない。
母は病院受診を頑なに拒否していたし、同居の家族父や妹三女はあきらかにおかしい母の様子を病気と認めることさえ長年拒んでいた。
そのころ、わたしは大阪に住んでいて、どうしたらいいのか?すごく悩んだ。
結婚したばかりだったし、夫には母のことは話していたけれども、すぐなにか動けるのか?といったら、わたしにはまだ何もできないとあきらめて悶々としていた。
私たちの未来は始まったばかりだと思っていたし、妹たちだって年頃だし。
かといって父は自分のことしか興味のない人で、母や私たちが父に尽くして当たり前と思っていた節が強かった。
自分に問題が降りかかっても、気が付かないふりをしてたくらいに臆病な人だ。

そんなことをつぶさに思い出しながら読んだこの本は、わたしの胸を深くえぐった。
最初から涙がこぼれてとまらない。
口惜しさ、悲しさ、無力感、罪悪感、、、、
自分にも向き合えていなかったし、母にも正面から向き合えていなかった。
仕方ないことだ。
けれども、これまでの道のりを思い出しながら、頑張って頑張って読み進めた。
もはや根性ださないと読み進められなくて、今日こそここまでは読むぞ!いや、やっぱり読めないというのを行ったり来たりしながら。
半分くらいまでは、辛すぎた。
だけど頑張って読んでよかった。
著者の気持ちにすっかり共感してつらかったけれど、母の昔を思ってつらくなったけれど、だけど逃げちゃいけないと勇気をもって、自分と母と家族と向き合うと覚悟を決めたことを何度も思い出して、声をあげて泣きながら、タオルハンカチやティッシュを片手に読み進めた。
最後には、感動して泣いてしまった。
あまりにも力強く、しなやかで。
そうして、最後につづられたレビーフォーラム講演録!
他の部分を読むのはちょっと勇気が出ないという方も、ここだけはぜひ読んでほしい。
いや、読んでください!
わたしにはここまで記録できなかったけど、母のことで感じてきたことがすっかり書かれていて、「ありがとうございます!」と本を拝んでしまった。
このことを、一人でも多くの人に伝えられたらと思った次第。
どうぞ怖がらないで、一緒に時を過ごしましょう!と。