『母がしっかりしていたら、どうしただろうか?』
というのを、自問自答する日々を暮らしてます。
今回は、妹次女の息子が志望校の高校に合格したので、そのお祝いなどについて。

妹次女は受験生の息子を持つ母として仕事を頑張り、義母の介護も頑張っていたのに、両親の特に父の病状の悪化により、仕事を辞め、義母の介護もそこそこに両親の介護をする私の苦労を見かねて手伝ってくれました。
昨年のの3月から、私一人の力では介護保険の限度額を超えてのサポートでさえも足りず、両親の介護は立ち行かない状況がありました。私の家庭を顧みることなく両親の介護に明け暮れていました。

きっと母だったら、孫のお祝いと妹次女への慰労の意味での金一封など考えただろうな~なんて思い至り、父に相談してみたら「そうしてくれ」ということで、両親の家計から多少やりくりを頑張って、妹次女にもお祝いを用意しました。両親だって、彼女が両親のために尽くしてきた日々に感謝しているのです。そうして今の彼女に必要なものをできるだけ差し出したいと思うのではないでしょうか?

今日は、そんな彼女と彼女の息子と一緒に1週間ぶりに両親の施設に会いにゆきました。
父が孫(妹次女の息子)に直接、入学祝を渡したいと願っていたので。
ちょっとだけ先回りし、父にお祝いの説明をし(認知症のため、なぜお祝いを孫に渡すのかすぐに忘れるため)手渡しました。なんとも嬉しそうな笑顔で、孫を呼びお祝いを手渡す父。これまた嬉しそうな笑顔で受け取る孫。幸せが充満です。
妹次女もとても嬉しそうで、何よりでした。
妹次女には、帰りの車中で降りる寸前に母が元気だったら渡していたと思うからとこころばかりの現金をいれた封筒を手渡し。
帰宅後妹次女からメールが届きました。
「ほんとお母さんだったら、こうしたかも。嬉しくて涙出た。」
母に妹たちの面倒をみるよう物心ついたころから厳しくしつけられたからこそかな?な~んて。
すっかりぼけた今でも、母は私にだけしごく厳しい!

さてさて。
そんな母ですが。
日々生きる気力、希望を失っている(というように感じられました)感じです。
これまでどんなことにも強靭なハートでいたはずの母が切なさと哀しみとをたたえた涙目で私と妹次女を見つめるのです。
父のいる施設でようやく夫婦二人になれたというのに、母には父といるからこそ味わう孤独感でいっぱいになっていました。夫婦でいても、夫婦でいるからこそ深い孤独を味わっているかのようで。母自身が望んだことであったはずの二人の暮らしに絶望さえ感じているのではないか?という想いであるような。
ほとんどしゃべらないし、これまで日常的に発していた暴言のような独り言もなく、起き上がる気力も、立ち上がる気力もなく、ただただ力が入らず弱っている様子は、病状の進行だけではない母の心境がなせるものなのではないか?という感じで。
もちろん薬の影響も考えられるので管理をしているケアマネに話を聞いたのですが、それはないとのこと。薬の服用状況も詳しく説明いただきました。
それにしてもいつもは母を抱きしめたらあたたかい愛情を伝えてくれるのですが、今日は哀しみや寂しさしか伝わってこなくて、自分のせいではないとおもうけれども、もっと考える余地があったのではないか?とかこういうことも考えられたのに配慮がたりなかったのではないか?とか様々なことが思い起こされてしまい、私自身もつらくなってしまいました。
介護の過程では何かの折にふれ、このようなわかっていても自分を責めてしまうような気持になって切なくなったりすることはあるのですが、今回もまさにそれで。
何回も何十回も繰り返してもこれでよかったのだろうか?という疑問はつきまとうわけで。
それでもやはりそれに対する答えは、今はこれが精一杯だとういうこと。

今日の最後のとどめは。
帰る前に母を抱きしめた妹次女に母がまともに話したこのセリフ。
『もう帰るの?寂しいねぇ』
いつものお決まりではなく、初めて聞く母の本音のセリフでした。
つらかったです。

まぁ、こんな日もあります。