父が水頭症シャント術をした病院から
回復期の病院に移って半年
退院することになりました。
退院後自宅療養は無理との主治医の判断で
施設を探しましょうということだったのですが、
これに約2か月ほどかかりました。
父だけが施設で生活というのと違って、
母も同じ施設で過ごしたいということが、
施設探しのネックになりました。
父は血管性認知症と脳卒中の後遺症があり要介護4、
母はアルツハイマー型認知症で要介護5。
同じ認知症でも症状が違い、
その違いから家族(私含む)の施設に対して要望するケアも違います。
それに加えて、金銭面の問題が残念ながら第一。
両親の年金を合わせた額で施設への支払いが賄えないからです。
元気な夫婦が自宅で生活することとの違いは、
介護保険を使い生活するので、
至極当たり前ですが、
夫婦だからといって割引はありません。
そうしてこれまたそうですが、
施設のお部屋の空きがたまたま2部屋ある
ということもなかなかありません。
施設選びで私たち家族が重点を置いたのは、
新しい施設(新しい施設では働く人の技術や成熟度、人数などが認知症両親にとっては微妙)ではなく、
既存の施設で職員の入れ替わりが少なく管理者と働く人たちの関係性がはっきりすっきりしている
ことでした。
私たち家族への説明や質問が明確であり、
数字で示せるところは数字で、
行動でわかるところは行動で、
対応が迅速で適当でオープンさがあることなど。
たくさんの施設を見学し、
働く人を見たことでいろいろと学びがあり、
両親にできるだけフィットした施設を、
また自分たちの気持ちや両親の思いを見つめ向き合い続けて、
今回選択した施設に決めました。
条件が合わなくなったら、
施設を移ることも視野にいれることに。
こうやって時間をかけて探した施設に
ようやく父が入所し、ホッとしてます。
それにしても事件だったのが、
入所にあたっての書類「父の生活史」!
壮大な時間かかった割に(個人比)、
薄っぺらい仕上がり(笑)
1行を書くのに、
実家の居間寝室で何時間もの捜索が繰り広げられ、
とんでもない惨状になり、
発見された資料について妹次女と議論(笑)
想像と現実のギャップや何やかや(笑)
何日かかっただろう?!(笑)
そうして今朝も病院の駐車場でぎりぎりまで
「父の生活史」に時間をつぎ込んだのに、
残念な生活史しかできなかったという敗北感…。
この後、「母の生活史」が待ってます…
すでに絶望の域。
父や母の「生活史」とは、
これまでのそれぞれの生きてきた歴史。
わたしたち姉妹は、
子供のころ、成人して社会人になってからと、
その都度両親の若いころやなれそめを
質問して聞いていたのにもかかわらず、
両親が私たち子供に話してくれていたことは
ほんの1%にも満たなかったのではないか?という現実。
両親の兄弟姉妹にも話を聞いたり。
両親の過去のアルバム、
ノートや日記、
試験資格の免状や学生時代の成績表。
出来てきました!(驚愕!)
それにしてもわたしたち、
子どもとして親の過去へ関心が薄かったし、
聞き方も悪かったのか?
両親だってこんな老後を過ごすとは
思いもしなかったはず。
人生のまさかというのは、
どこにあるやらわからないものだなぁ。
はぁ、ため息しかでない夜。
今日の業務の記録はまた後日。
回復期の病院に移って半年
退院することになりました。
退院後自宅療養は無理との主治医の判断で
施設を探しましょうということだったのですが、
これに約2か月ほどかかりました。
父だけが施設で生活というのと違って、
母も同じ施設で過ごしたいということが、
施設探しのネックになりました。
父は血管性認知症と脳卒中の後遺症があり要介護4、
母はアルツハイマー型認知症で要介護5。
同じ認知症でも症状が違い、
その違いから家族(私含む)の施設に対して要望するケアも違います。
それに加えて、金銭面の問題が残念ながら第一。
両親の年金を合わせた額で施設への支払いが賄えないからです。
元気な夫婦が自宅で生活することとの違いは、
介護保険を使い生活するので、
至極当たり前ですが、
夫婦だからといって割引はありません。
そうしてこれまたそうですが、
施設のお部屋の空きがたまたま2部屋ある
ということもなかなかありません。
施設選びで私たち家族が重点を置いたのは、
新しい施設(新しい施設では働く人の技術や成熟度、人数などが認知症両親にとっては微妙)ではなく、
既存の施設で職員の入れ替わりが少なく管理者と働く人たちの関係性がはっきりすっきりしている
ことでした。
私たち家族への説明や質問が明確であり、
数字で示せるところは数字で、
行動でわかるところは行動で、
対応が迅速で適当でオープンさがあることなど。
たくさんの施設を見学し、
働く人を見たことでいろいろと学びがあり、
両親にできるだけフィットした施設を、
また自分たちの気持ちや両親の思いを見つめ向き合い続けて、
今回選択した施設に決めました。
条件が合わなくなったら、
施設を移ることも視野にいれることに。
こうやって時間をかけて探した施設に
ようやく父が入所し、ホッとしてます。
それにしても事件だったのが、
入所にあたっての書類「父の生活史」!
壮大な時間かかった割に(個人比)、
薄っぺらい仕上がり(笑)
1行を書くのに、
実家の居間寝室で何時間もの捜索が繰り広げられ、
とんでもない惨状になり、
発見された資料について妹次女と議論(笑)
想像と現実のギャップや何やかや(笑)
何日かかっただろう?!(笑)
そうして今朝も病院の駐車場でぎりぎりまで
「父の生活史」に時間をつぎ込んだのに、
残念な生活史しかできなかったという敗北感…。
この後、「母の生活史」が待ってます…
すでに絶望の域。
父や母の「生活史」とは、
これまでのそれぞれの生きてきた歴史。
わたしたち姉妹は、
子供のころ、成人して社会人になってからと、
その都度両親の若いころやなれそめを
質問して聞いていたのにもかかわらず、
両親が私たち子供に話してくれていたことは
ほんの1%にも満たなかったのではないか?という現実。
両親の兄弟姉妹にも話を聞いたり。
両親の過去のアルバム、
ノートや日記、
試験資格の免状や学生時代の成績表。
出来てきました!(驚愕!)
それにしてもわたしたち、
子どもとして親の過去へ関心が薄かったし、
聞き方も悪かったのか?
両親だってこんな老後を過ごすとは
思いもしなかったはず。
人生のまさかというのは、
どこにあるやらわからないものだなぁ。
はぁ、ため息しかでない夜。
今日の業務の記録はまた後日。