終活ワークショップに出かけまして。


エンディングノートの3回目を受講したのです。


前日の夜。


ノートを見返してみたら、書けなかった場所が書けそうだったので、書いてみました。


ちょっと熟成させた自分の気持ちがいい感じに発酵して、書けない!と思っていたのは、気のせいだったと思いました。



今日も苦手な両親にまつわる部分が、案外すらすら。


それもいい思い出が思い出せないわたしが、感謝の言葉をつづっていました。


意外だわ~~~。



誰に対しても、感謝の言葉が次々に浮かび上がるなんて、どうしちゃったんだろうなーわたし?


くらいのノリ。




よくよく考えてみると。


終活ワークショップを訪れるようになってから、これまでにいつもしない行動をしたことの積み重ねがかなりありまして。


旦那どのにもそのことをあけすけに話ながら、自分に向かい合ってきました。


自分の気持ちがまとまったら、旦那どのや妹次女に話してみたりして。


さらに意識がはっきりしてくるというか。


わたしは、ノートにとにかくいろんなことをメモすることが多いのですが。


書くのも大事だけど、そのあとの話すという過程が自分にとって物事を明確に浮かび上がらせる効果があるなぁと気づきました。


相手がいるということは、素晴らしいことですね。


それは、最初は身近で信頼できる人がいいのでしょうけど。


それに慣れたら、知らない第三者や知人くらいになると、もっと感性が磨かれていくように思います。


ただ、自分にとって、そこはまだハードルがかなり高く感じてしまい。


すぐにその理解にたどり着けず、熟成発酵させる過程が必要だな現在はって気がしています。



ただ、立ち止まるというより、深くダイブするような、それでいて広がりが出てくるような。


そうして、一点だけの関心が、ぐるっと球面を覆うように多方面からの理解に広がって。


そうかーってそのまんまを受け入れることができるようになってくのかな?っていう。



なんの話・・・?ってなってますね。


終活から自分の生き方を考えて、自分を受け入れていますってことでしょうか。


このまま死んで後悔しないだろうか?


いやーーーー、後悔するなってことですよね。


わたしの場合。



日々は、相手に対しては、完結するようにしてますが。


果たして自分自身の人生に納得しているだろうか?


えーーーーー?!してなくない?!




いろんな方の話を聞くにつけ、じゃわたしはどうしたら自分が納得した人生を生きているといえるのだろうか?そんな疑問がわいてくるのはなーーーぜぇーーーー。




というわけで。


こちらを煮詰めて参りたい。