前ブログからの続きです。
ですけど、これから寝るって人は、今読まないほうがよろしいかと思われます。
寝る直前の人というものは、ネガティブに転びやすいそうですよ?
(正確には、横たわって=仰向けに寝てからだの力が抜けた状態にある姿勢の人らしいですが)
書き忘れたのでペタリ。
NHKの番組ページはこちら↓
http://www.nhk.or.jp/special/rousui/
老衰死とは。
番組では、病気を抱えていてもそれが直接の原因にならず、自然な老いによる死と紹介。
さて、番組の中でわたしが興味をもったところを、ここに記録。
老衰の特徴、食べるという機能の変化。
亡くなる1週間前から食事をとらなくなる。
そこからたどって、出された食事を全量食べても、体重が減るようになるという経過。
それは老化により細胞が変化していく。
筋肉や臓器の萎縮→細胞が死滅していく。
日常生活動作、健康状態の死に至る過程
①ガン
2か月前、急速に機能の低下。
②臓器不全
病状の悪化をくり返しながら機能低下
③老衰
機能が低下した状態が長く続き徐々に死に近づく緩やかな過程。
細胞の老化
細胞が分裂をやめ、細胞の形が崩れてゆく。
炎症性サイトカインの分泌により慢性的な炎症が広がってゆく。
終末期医療
アメリカ老年医学会の発表
重度認知症高齢者の場合の経管栄養の有効性
・生存期間の延長
・栄養状態の改善
・肺炎・感染症などの予防
いずれも有効性が認められない。
食べないことで死期が早まるのか?→生存期間には影響していない。
死が迫った時、人は痛みや苦しみを感じているのか?
患者の状態をつぶさに観察する調査によると。
対象 オランダ 平均年齢85歳 178人(認知症) 経管栄養などを実施せず
内容 呼吸の様子、声の調子、表情、筋肉の緊張から痛み不快感を測定
不快感は死が迫るにつれ低くなっている。
死を前にした脳は委縮し、炎症が広がり、機能が低下し、苦痛を感じなくなっていると考えられる。
痛みとは、自分がけがをして対処する必要があると脳に伝えるためのもの。
死期が近づくと、そのプロセスが引き起こされない場合が多いようである。
多くの人が、最後の数日は痛みに苦しむことなく亡くなっているといってよいと思われる。
緩やかな最後の時を刻む老衰とは、家族が死を受け入れていく時間を生み出しているのでは?
欧米では、死の質(Quality Of Death)に関心が高まっており、ランキングでイギリスが1位。
その終末期ケア研修会では。
安らかに死ねるということ。
限りある寿命を受け入れることが残された時間を良く生き、良い最後を送ることにつながる。
死に向き合うことで、人生は豊かになる。
自然な最後というものがどんなに穏やかなものか?
先に逝く人が見守る人に教えてくれていると思えればいい=受け入れるということ
人には穏やかに人生を閉じる力もある。
今のわたしがひきつけられた言葉。
もっと経験を重ねたら、同じ内容でも違った感じ方をするだろうと思う。
死というものと向き合うということは、勝ち負けでも、恐怖でもなく、自分を信頼し大丈夫と思える精神を養うことなんだろうなー。
命を見守り、見送ることも、見送られることも、大きな大きなギフトなんだろうね。
というわけで。
ますます終活といものが意義深いと思うのであった…。