いろんなところで、いろんなときに、自分に響いてくる言葉がありませんか?


そうだよねー('-'*)(,_,*)('-'*)(,_,*)


って思うような。



だけど、その言葉がまだ自分の外側を上滑りしてたんだな!って気づく瞬間。



今朝、ちょっとストレッチと筋トレして汗ばんだあとシャワーしてたら。



どっかで目にした言葉を思い出して。





目の前の仕事に一生懸命自分の最善を尽くす。


その仕事を


 馬鹿にしてる人がいても。


 投げてる人がいても。


自分は自分の役割を全力でやりきる。


 自分が全力ですることで、その仕事の評価が上がらないか?まで考えてやってみる。




自分は、自分の役割をちゃんと認めてて受け入れて全力でやりきればいいんだよねー。



ってその時は思って、そうやってるし、そうしていこう!


って思ったんだけど。



うん?


ほんとにそうしてるかな?


って思えてきた。



いや、結構中途半端で投げ出してたりー。


放置しちゃったりー。


あきらめちゃって適当に流しちゃったリー。




あれ?あれれ?



ってことが、あるわー、あるある!


めんどくさーとか、わたしがやんなくてもほかの誰かの役目じゃないのーとか、そういうの。



最初っから手をつけないならいいのに。


中途半端に気持ちが続かなくなって投げちゃうこと。


実際は、結構あるなーーー( ̄Д ̄;;




ごくごく日常生活の一こまで。。。



昨日。


母の夕食の食事介助をしてたんだけど。


途中で同居の妹三女が帰ってきました。


本来日常生活では、母の食事介助は彼女の役割です。


だから、わたしも彼女が帰ってくるまではやるけど、帰って来たなら交代してほしいなーって思ってた。


この場合。


ま、私の立場、母の立場、妹三女の立場、ってあるわけだけど。


誰のためにそれをしてるか?っていったら、母のため。


で、究極には、ご飯食べれればいいじゃん!とか、1食抜いたぐらいじゃ死なないよとか、いろいろ考えられるでしょ?



でも、まぁ、『現在』(その時点で)そういう切羽詰まった状況じゃない。


例えわたしの旦那どのが仕事から帰ってくる時間が迫っていて、夕飯の準備が全然できていないとしても、彼はご飯が食べられたらいい人で、待てると本人もいってるんだから。


なんなら、外食する?とかお弁当買ってこようか?とか他の選択肢もたくさんある。




妹三女は、できれば母の世話はしょっちゅうしてるんだからこしょがいるならしたくないっていつも思ってるみたい。



わたしは、自分に余裕がなくなると、つまり、母の魂がどっかいっちゃって、便秘の痛みに魂を売っちゃってて痛みのいいなりで、不穏になって暴言や暴力にでてくると、お手上げ。


食事介助に限らず、やだーできない!したくなーいっ!だってその痛みわたしにはどーしよーもできないもーんっ!



ってなって、逃げ出したくなる。


逃げられないから、ちょっと離れて落ち着きをとりもどすんだけど。



で昨夜の食事は、途中2度トイレにいったんだけど。


強い眠気に襲われてウトウトもしたんだけど。


>いつもどおりに。



その時に、上の言葉が降りてきて。



あー、こういうときにちゃんと自分の役割として気持ちを込めてやりきることが丁寧なんだなー。



って思えた。




で、シャワーのときには。


昨日のそのことが。



食事の介助が終わるまで、しっかり母の傍らで食事介助と母のその他の不快や不愉快を取り除きながら、気分良く過ごしてもらう時間。


>心地いい。



つまり、今この場所に自分がちゃんと存在してる意義に満たされてる充足感があるんだなー。



それが、役割を果たすっていうことなんだなーって思った。



うわべだけの感情に流されず、その根本の役割をしっかりとらえて、全うすること。


いまの自分に出来ることをすること。


特別なことでなく、ごく普通の食べることに集中できるように環境を整えること。


実際は食事介助だけども、今を快適に過ごす環境を最大限に整えることが心地いいことと知ること。


それが、母を通して、私までも心地いいことと感じられること。


これがワンネスな感じなのかなー?




じーんわり、心にしみて、ひろがってく。




こういう瞬間瞬間を過ごして行けるようになりたいなー(*^ー^)