お盆のハードスケジュールが終わった次の週は。
一動作にやたら時間がかかる父の通院付添が2回もあり。
通常業務の最低ライフライン確保でひっちゃかめっちゃか。
相変わらずのすごいおねしょ。
動ける認知症の人って、漏れる範囲がすごいのですよ。
布団に限らず、部屋のあちこち、とかね('-^*)
便って場合もあるし、ね('-^*)
父は。
いつも書いての通り。
自分のことも人にして欲しい人なんですよ。
「自分のことは自分でしなさい」
ってこどものころいってましたよね?
父は、自分でできることを自分でしなかったので、
ほんとに自分のことを自分でできなくなりつつあります。
認知症の進行もある。
父、動きたくないから動かないので、
動けなくなりつつあります。
立ち上がるのに使う筋肉が衰え、
立つのにめちゃくちゃ時間がかかり、
その時にすごく力を込めるので
立つだけでも疲れてしまうという悪循環。
こうやって人は寝たきりになる。
ちなみに筋力は、何歳からでも鍛えられるそうですよ。
例え80歳からでも。
ときどき通うトレーニングジムには
高齢者の方々が(両親より全然年上でさらにからだが不自由な方でも)
たくさんいらっしゃって、
わたしより筋肉質。
男女問わず、かっこいい☆
で。
努力しない自分を棚にあげて、文句をいう父。
それでも見捨てないわたしは、
アドバイスっぽくないよう遠まわしに
運動や筋力トレになりそうな
日常生活での動作をお願いする
という形で物申す。
わたしは思考錯誤の上、
めっちゃ優しい言いまわしやのに、
完全に父に迷惑がられるっていう( ゚ ▽ ゚ ;)
なのでわたしもときどき、
カチーンっときて
ストレートに言ってみますけども、
馬に念仏暖簾に腕押し猫に小判的…
結局やりたくないことは人ってしないんです。
=尊い学びです。
それでもわたしが表現方法を思考錯誤して
優しい言いまわしにするのは、
自分のためと
周りでそれを聞いてしまう人のため。
生活音として、
不機嫌に文句を言ってるのを聞くのか?
それとも、
ごく普通のトーンで生活の延長線上の会話か?
ってのは、
周りで聞いてしまう人の心理的負担が違いますよね?
前者は明らかにストレス!
情けは人のためならず…
毎日の積み重ねで。
この何にもできないしたくもない父のおかげさまで。
わたしの精神的な成長っていうか充実具合は広がってます。
話はそれっぱなしです。
失礼!
父。
立ちあがるのにも一苦労。
一歩踏み出すのも一苦労。
なので、なにをするために立ち上がったのか?
前に進もうとうしてるのか?
わからなくなり混乱してまた座ろうとする父…
人は安易に逃れたがる生き物。
そんな父を、あたたか~くそれとな~くゆるゆる見守りながら
自分のするべきことを進めて、
声をかけながらの両親のためのあらゆる生活の準備。
めっちゃ疲れる…
これに慣れるのはなかなか難しいよぉ~。(´д`lll)
わたくし、短気で喜怒哀楽の激しいタイプです。
さて、明日の父の通院付き添い。
父を病院に行くためにタクシーに乗せるまでだって大仕事っぽい。
わたしが父に付き添い病院の受付をなんとか父自身にしてもらい、
父を待合室の椅子に座らせると、
どっと疲れが…。
父の気分を損ねないよう
細心の注意を払って帰宅まで気が抜けない。
父はいちど怒り出すととまらないので、
なにもかもストップしてしまい、
埒が明かなくなる。
父が検査のために、
病院内を移動するのにかかる時間は倍以上。
いや倍の時間で済めば逆に御の字。
無意識に歩いて移動できる健常者と違いすぎる父。
父は集中力を全投入して意識してからだを動かし歩く。
なのに父の
からだはついてこない。
あたまもついてこない。
ひゃぁ~~~ヽ((◎д◎ ))ゝ
ひとつひとつの動作が大仕事な父。
ここで、
なんで車いすを使ってラクしないんだ?
って思ったあなた!
わたしは父が、
車いすを使ったら超ラクで時短でいいと思いますよ。
できればそうしたいという誘惑にもかられます。
しかし!しかしですよ!
そのラクをすることによって生まれる良し悪しを
父の立場、私の立場で考えるんです。
正確にいうと父が失ってしまう機能のこと
つまりラクをするということは、
人としてのからだのまだ大丈夫な機能を
いくつか失ってしまうかもしれないという可能性。
極端ですが…
それで、
それがいい場合だってありますし、
そうしなければならないこともあります。
が、父の場合。
父のためになることは、何一つない気がする。
ラクできていいじゃんっていう感情の他には。
それも父が望むなら(早く死にたいっていうなら)そうしますけど。
父は、
死ぬのは怖い、長生きしたい!
そうなんですよね。
常に父本人の意思確認には余念がないわたくし。
だってすぐに出来ないこととかネガティブなことは、
わたしのせいにする父ですから。
わたしも防衛しないと!
本人がしたいように長くさせて頂くためには、
熟慮するっというもの。
父が明日死ぬか、
それとも100歳までも何十年か生きるのか、
それはわかんないわけで。
とはいえ、
父の歩きたくないっていう申告があった場合には、
さまざまな場面を想定しての意思確認は怠らないようにして、
父の希望をかなえるよう努力しております。
だから、
いつ父が死んでも、
私が死んでも、
悔いはない気がしています。
そんな父と病院に行くと、
たとえ予約外来で待ち時間が2時間をこえようが、
文句はございません。
これは時間を失うことへの嫌味ではありません。
読書時間ができてむしろ嬉しいです♪
待ち時間は読書タイム
その予約外来の待ち時間を増やしてる一部の理由に
父は完全に含まれますよね。
これこそ仕方のないことというヤツ!
医師、看護師の方々には、
いつも優しくしていただき、
感謝してます。
のろのろの父を待って下さるようになったんでありがたいです。
昔はせかされたり、嫌がる父を強制的に車いすに乗せられたものでした。
このように。
自分が心持ちをかえれば、
まわりもかわるということも学びました。
人って、優しい人には優しくなっちゃうんですよね~。
意地悪な人には、意地悪したくなっちゃうし( ´艸`)
どっちがお得かって話ですよ?( ̄□ ̄;)え?!
ストレスレスでいたいですもんね。
自分も、家族も、周りの人も。
わたくし、
日常生活の何気ない一挙手一投足に
いちいち学ぼうという気満々なので、
人より異常に疲れやすい。
常にわたしのアンテナは
想像を超えるほど異常に
たくさんはりめぐらされているから。
そんなわたしのアンテナがキャッチすること。
認知症の両親を見守ってると、
生きてるってすごいな~って
毎日その時々に、
感心するって言う感じです。
とりとめがないんで、この辺で。
がしかし。
こんなこと書くと、
父親大好きなんだ!
って思うかもしれません。
昔わたしは父を
恨んでて毛嫌いしてて(笑)
今は父を、
親っていってもただの人だからね!
っていうフラットな感じで見ています。