両親とも認知症となると。


この頃症状の進行著しい父がいるともなると。


私自身の気持ちのコントロールとか体力とかで、ブログもご無沙汰でございます。。。


お久しぶりに、こんにちは☆





この2か月の変化といったら。


○父の訪問リハビリが主治医の指示書では立ち行かなくなり、訪問リハビリをしてくださる病院に診察に伺わなくてはならなくなったこと。


介護保険制度の改正にともなうものだとか。

ケアマネさんによれば、事業所の判断らしいので、従来通り主治医の指示書みたいなもので訪問リハビリをしてくださる病院もあるらしい。


だけど、父の訪問リハビリをしてくださる事業所では診察なしでは法律違反という案内文でしたけど。


みんな責任問題に煩わされるのが嫌なんだろうな~~~。


6月中に診察をお願いしますっていわれたのだけど、聞いたのは6月の3週目の週末です。。。


この病院、自宅からタクシーじゃなきゃ行けない。。。


両親どっちも通院に付き添うわたしですが、マイカーなしです~。。。

介護のために車を買うほどゆとりはございません、残念ながら。。。

通院のためだけに車、買うべきか否か悩むこと十年。。。

買ってももとはとれません。大赤字。←試算してみたんですけど、タクシー代のほうが安くつきました。なので、今のままで、今のところ正解です。




○父の足腰の筋力低下と物忘れのスピードが一挙に進行。


自宅にいると(週4デイサービスに通っている)トイレ以外には動かない。

トイレに移動するのに時間がかかって間に合わず失禁してしまうのでリハパンにしたものの薄手のものではまにあわず(2~3回用)最大容量(5回用)のリハパンに。。。それでも危ういらしいこの頃。


物忘れがひどくなって、面倒くさがりが加速し(もともと面倒くさがりで、自分でできることも人にしてもらったり、人を使ってラクをする父だったけど)「わからないからできない」といいわけしてやらないでいたら、本当にいろんなことがわからなくなってできなくなってきて、気持ちばかりが焦って本(などの活字媒体)とテレビとラジオに執着している。←さらに動かない、やらないので悪循環。


結局、動かないことが脳の記憶力の低下をごんごん推し進めている。

生きようという気力というか目標というかワクワクすることがなく、生きるための努力もなんにもない人ってどんどん死に向かうのかな。


にもかかわらず。

死にたくないだの、やりたくないだの、言われて、こっちが嫌~な気分になってしまっている今日この頃。


無理やり、あれしたらこれしたらなんていいやしないし、出来ないことで困りそうな事をよくよく考えて、ちょっとお手伝いするというか、わたしが出来ることをしたり、いったりする程度です。平常心をこころがけて。優しく、楽しめに。



で、出来ないわからないという父をおだてて、なるべく父自身が自分のことは自分でできるようにしてるんですけどね。


逆切れですよ。

出来ない自分にイライラして、わたしに八つ当たり。

文句たらたらか、無視!


それも仕方がありません。

それも想定内。


父の希望をいつも聞いて、それができるよう優しくサポートする心構え。



でも、母もいるわけですよ。

優先順位としては、症状の重い母が優先されるわけです。

と。

逆切れするは、いじけるは。。。

三歳児か???っていう。。。

親子の感情があるので、そこんところが、わたしの冷静さを欠いてしまいます。


わかっちゃいるけど。。。


そんな自分とどうしても葛藤してしまって、割り切れない気持ちがわいてきちゃうんですよね~~~。


それで。

そんな自分もオッケーなんだよ、そんな気持ちではちきれそうでいいんだよ、と自分に言い聞かせ。


その気持ちは、置いてといて。

と自分に言い聞かせながら。

やっぱりマイナスの感情にうちふるえて(イライラ悶々愚痴愚痴などなど)

もくもくと働く。




この2カ月は父のことでいっぱいいっぱいでした。

これが大好きな父~~~って感じで育ってないんで。

父は仕事人間。

家族を顧みないタイプ。

家を守るのは妻の務め。

っちゅう人だったんで。


母がアルツになっちゃったら、な~んも家のことがわからなくなって、未だに大変です。保険通帳家財管理の関係書類が探せない。。。

どこにあるんだろう。


事あるごとに、処理はしていますけども。

父がそれをわたしにまる投げして、自分がやらないって宣言したのが、いまだ許せない気持ちでいっぱいだったりするわたし。

そういう事務的な作業が超苦手。。。

片付けも苦手だし。

掃除も苦手。


苦手なことが多過ぎて、つい鬱々しがち。



そんなこんなでも。


深呼吸して、ストレッチして。

心とからだをリラックスさせながら。

自分の道を見定める。


をくり返しくりかえし。



ラッキーやハッピーに助けられて。

順調じゃない道を順調に進んでいるような気がします。




母は。

言葉もなかなかでなくなってきていて。

母の使う言葉が母の言いたいことと違っていたりすることもあるみたいだけど。

ちゃんとコミュニケーションはとれていて。

なんとか母の気持ちをくむことができることが多くて。

母に癒されています。

おトイレに行きたいといえないけど、それを一生懸命伝えようと努力してくれてる母をみると、とっても嬉しいし、有り難いな~~~って癒されます。


ここらあたり、父と間逆なので、そのギャップでわたしの感情が複雑になっちゃうというか自分で複雑にしちゃってるというか。


まんまな自分や、まんまな相手を、するりとそのまま受け入れるというのは、ほんに難しい。。。けど、そういうわたしになりたいな。。。



こういうのが父がいて母がいるから体験できること。



そんな母。

世間的には何にもできないかもしれないけど。

一緒に台所にいて、お料理するとき、母にお箸の持ち方をお知らせして持ってもらってボールの材料をまぜまぜしたり、お玉をもってもらってお鍋のなかをまぜまぜしたり、お味見したりしてもらって、一緒にお料理している感じを演出すると、とっても嬉しそうです。表情が生き生きしています。


父に私が、


「お母さんと一緒に作ったんだよ。美味しいよ。どうぞ。」


って言いながらお料理を出すと、母が父に、


「作ったよ、食べて。」


といいます。

母、とっても生き生きしています。


何もできないと決めつけて、しなくていいよだの、座っていてだのということもできます。


こんなとき、決めつけているのは自分なんですよね~。


母の中では、今でもなんでも「出来る」し、「自分でやりたい」だったりすることは多い。


そこんところを酌んで、一緒にできそうなところをやってみると、すごいです☆

そこにしあわせの花が咲いちゃいます☆


ネガティブな気持ちでいると全く素通りしちゃう無視しちゃうところに。

ポジティブな気持ちとチャレンジ精神でハッピーがやってくる。


恐るべし~~~!



そんな場面は無数に存在しますが、欲張らないのが肝心!

今日も一つ。

明日も一つ。

余裕があるからもう一つ。


の精神がいい感じです。

その積み重ね。

大きな花がさくでしょう☆まるでこの木なんの木気になる木!



現実といろんな気持ちのはざまな日々。。。