からだは健康そのもの、
アルツハイマー要介護5、
の母と夕飯作り。
一緒に料理できるの?
実際はほぼできません(笑)
でもでも。
母にとって、
気持ちは一緒に作るお夕飯。
楽しいに違いない。
では始める前のチェックです。
母とコミュニケーションを滑らかにするためのチェックポイント
・便秘はなく健康状態は良好である
(便秘とその他の体調不良は母の精神状態を不穏にする要因)
・気持ちがころころ変わる
・気になるものがころころ変わる
・集中力が続かない
・自分が何をしているかすぐにわからなくなる
・かまってほしい=無視されたくない
そしてもうひとつ
夕方、
母にしみ込んだ習慣は、
からだを台所にむかわせる。
茶の間にじっと座って、
夕飯ができるのを待つ間、
テレビのお相手なんて無理(笑)
夕方になるとそわそわする。
夕方症候群(笑)
動物の本能?!
母の現状はチェックしました。
つぎは?
わたしのこころの状態チェック。
なぜなら、
介護する側のこころの状態は、
常に一定で安定していることが望ましい。
ええ、あくまで望ましい(笑)
なかなか難しい(笑)
できないことが多い(笑)
今日のわたしはこころ安らか!
時間にも余裕がある(←ここ重要!)
さあ母と一緒にお夕飯作りましょう。
一緒に台所に立ちました。
やはり母はじっとしていません(笑)
母の動きに注意します。
包丁や煮えたぎったお鍋が危険という認識がなくなっているから。
危険物に触ろうとする母
わたしはやさしく笑顔で母に、
お母さん、(この時は「お母さん」と呼びかけたら母は自分が「お母さん」であると認識したのでこの呼び方)
それ(煮えたぎった鍋を指さし)
触るとやけどするよ!
やけどってね、
手がいたいよ~~~(母の手を優しく触りながら)
あぶないよ~~~!(母の様子をうかがう)
「いたいよ~~~!」
と
「あぶないよ~~~!」
の微妙なニュアンスがわかるらしい母。
すぐに手をひっこめました。
良かった!
最近の母はあまり痛みや熱さを感じなくなってきているよう。
なのでこどもに教えるのと同じく、
母の手を優しく持って、
鍋に手をゆっくり近付け、
「鍋は熱い」
ということを一緒に確認。
(すぐ忘れるけど)
わたし:
お母さん、お鍋熱いね!
(母の目を見ながら)
お鍋を触るのは、やめとこうか?!
母:
(手が熱くなったのを確認して)
あら、ほんとだ!
危ないから、やめとこうか?!
(にっこり返し!)
同じように、包丁も。
すぐ忘れるけど、
その都度、
このような動作を繰り返し。
・情豊かに身振り手振りで母の目をみながらおしゃべり
・母と一緒に作業することで母を受容していることを示す
・母に安心な場所だと理解してもらう
それをしつつ、お料理を進める。
母に説明するように、
私がしている動作を面白おかしくおしゃべり。
母の興味をひくように実況中継する(笑)
母の興味:
<お野菜の彩りがきれいなこと>
小松菜の緑の鮮やかさや、
人参のオレンジのさわやかさ。
わたし:
ほんとにきれいな色のお野菜だね!
母:
きれいなのはいいねぇ!
わたし:
そうだよね!
<味見>
ゆで具合、おだし、調味料の加減。
その都度、母に味見をしてもらう。
とっても喜ぶ母。
「美味しいねぇ(笑顔)」
その母のことばが何よりうれしい!
<野菜の切り方>
一緒に切るのは無理。
声かけしながらわたしが切る。
わたし:
食べやすくなるから、小さく切る?
大きめに切って、新ごぼうの味をたのしもうか?
母:
そうだね。そうしようか?
<健康にいいこと>
わたし:
春の野菜、菜の花だよ。
春野菜の苦みは、冬の間にからだにたまった毒をだしてくれるんだって!
母:
野菜はいいよね~~!
ことばの意味がわからなくても空気をよむ母は、
わたしことばをできる限り復唱する!
母の脳はまだまだ素晴らしいのだ!
調子が良い時の母は、玉ねぎの皮をむいたりできる!
(いつもはできない)
その玉ねぎを刻みながら
わたし:
玉ねぎって切ると涙がでるでしょ?
母:???
わたしの隣にいるのに母は涙が出ていない!!!
昔の母と違う!(笑)
なぜ?!笑笑
とまあ、
台所でうろうろする母を捕まえて、
ゆっくり食事作りの時間を楽しんだ。
【結論】
母とどんな時間を過ごすのか?
それはわたしの選択次第。
いろんな時間の過ごし方が選択出来て、
楽しむことができるほうを選べば、
自分も母も有意義な時間になる。
それを学んだ日。
善きかな。