両親、自宅でより長く気持ちよく過ごしてほしいなぁと思ってはいます。


施設ともなると、料金がカツカツでとても二人の年金では厳しい感じがします。


病気になって入院ともなれば、赤字です☆


経済的理由!




もともと住み慣れた家でゆったりと老後を。


とは、思いますが、現実は厳しい。



認知症の親との付き合い方は、難行苦行です。


親孝行という名の修行と心得ます。


親孝行の修行は前向きに鍛錬に鍛錬を重ねて、ようやく先が少しずつ見えてくる気がします。


とくに初めのころは(母はアルツだと確信したとき)、絶望的でした。

母は、診療拒否がすごかったんです。

家族ぐるみのバトルが何年も続きました。

母と私だけでなく、当時同居していた父や妹三女とそれぞれとです。

妹次女は早々にわたしの気持ちを理解して、一緒に悩んであれこれと出来ることをしてきました。


家族のディープさを思い知った時でした。



家族と向き合うことは、自分と向き合うことだとさらに思いました。


それまで、適当に逃げたり、考えてこなかった、自分の人生について、深く考えるようになり、迷路にはまりこんでしまいます。


それとは別に、母の病気の症状も私を困らせ、気持ちのぶつかり合いがあったり、その両親の親族とのぶつかり合いがあったり。


想像を超える人間関係の泥沼みたいなものにどっぷりはまっていったというか…。



そんな落ち込み過ぎた私を引き上げてくれたのは、介護のプロの一言一言でした。


信頼する今のケアマネさんや、母の通うデイのスタッフ責任者さんたちは、心からの一言を届けてくださいます。おっしゃる一言は、ごく普通の一言ですが、その言葉には真摯さがあり、愛があり、真実があるので、腐ったわたしの心に突き刺さり、融かしてくれていたようです。


ようです、っていうのは、言われたその時は、「じ~ん」としたり、「涙が出そう」になることもあれば、聞き流していることもあるのだけれど、しばらくして考え込んだり、振り返ってみるとほっとしたんだと感じるのです。


プロは、介護される母に寄り添って、今日という一日を一緒に過ごしてくださって、なおかつ介護をしている人にも寄り添って母と過ごした一日をありがとうって伝えてくださって、そういうやりとりにとても癒されるんですよね~、わたしは。


仕事に誇りをもってる人は、スバラシイなぁとしみじみ思います。


わたしにそんな仕事があるだろうか…。


介護のプロにわたしが伝えたいのは、ありがとうという感謝の「愛」です☆