うちの場合、子供たちが学校へ行くかどうかは本人の自由だ。

行かない場合は朝飯前までには一日の予定を決めるというのがルール。

 

学校へ行かない時、家で勉強を教えているかというと、教えていない。

勉強が必要ないという方針ではない。勉強は必要な時にやればいいという方針だ。勉強は自分のためにやるものであって、成績や競争や親の顔色のためにやるものじゃない、というだけ。自分が知りたいと思ったことを知ることが学ぶ力。当然、学校のカリキュラムについていけなくなるし、反面、大人でも知らないような知識を深めたりする。

小学校で学ぶ必要最低限と思えるような知識も、本人が必要と感じて自発的に学ぶまで、待つ。

「どうして成績が悪いの!」とか「宿題をやりなさい!」とか、一切言わない代わりに、「まだ習ってないからわからない」とか「先生がこう言ったから」とか学ぶことに受け身な発言に対してはけっこう厳しい。

 

5年生の長女は学校で友達と遊ぶことが第一優先なので学校へ行くことが多い。少人数校なのでクラスは生徒二人だけ。熱血先生と張り合いのある同級生のおかげで毎日楽しくてしょうがない。

2年生の長男は机に座り続けたり、気が向かないことをやらされるのが嫌なので登校しないことが多いが、学校側はそのような状況を肯定的に受け入れてくれているので、学校へ行きにくくなるということがない。大変ありがたい対応だ。

彼は山の仕事についてくることが多いが、家では絵を描いたり、紙芝居を作ったり、料理をしたり、洗濯したりする。(我が家では洗濯は各自の仕事。自分の服は自分で洗って干して仕舞う。8歳も例外ではない。)

 

昨日は長男と一緒にイノシシを解体した。彼のペースに合わせたので丸一日かかった。

解体という作業は「観察」に尽きる。筋繊維や骨の造りを捉えて丁寧に刃を入れる。決まった解体手順なんて教えない、というか僕も知らない。どう形作られているかを見抜いて、バラしてみる、という面白さを奪ってしまっては気分屋の長男はすぐに飽きてしまうだろう。

 

 

大好きな料理の上達は目覚しい。

何も言わなくても何も手伝わなくても、自分で勝手に弁当を作って友達の家に遊びに行く。時々僕の分も作ってくれる。

 

この日は、蕎麦のヤキソバと手羽先の塩茹でとリンゴ

 

僕はつまんない勉強に膨大な時間を費やして大人になった。

彼らには、急がず焦らず、確かな歩みで自分の世界を広げてほしい。