「赤いフェラーリと権威の風景」

2023-12-20 13:26:39 | 大西好祐

「赤いフェラーリと権威の風景」

時々、僕はふと考えるんだ。この世界は、どうしてこんなにも権威に溺れてしまったのかと。最近の広告を見ると、まるで全てがハーバードや何かの著名な研究所の印を押されたかのよう。街角の本屋に立ち並ぶ宣伝帯にも、そんな言葉がちりばめられていて、少し息苦しくなる。

そんなことを考えていたある日、ふと昔を思い出したんだ。1984年、シカゴのロースクールにいたころのこと。テレビで見たタイヤのCMが心に残っている。マラネッロの山道を颯爽と駆け抜ける真っ赤な車。エンジンの轟音と共に、「すべてのフェラーリはグッドイヤーのタイヤでアメリカに来る」というナレーションが流れた。その理由は、「フェラーリ氏がそう望んでいるから」だってさ。彼が画面に現れ、微笑んだ瞬間、まさに権威の極みを見た気がした。

権威付けにはいつも否定的な僕だけど、その後アメリカの司法制度で学んだ判例主義を思い返すと、どこか似たようなものを感じる。実際、控訴審の裁判官たちの権威を重んじるその制度は、ある種の権威付けと言えなくもない。

そして、人生で初めて手に入れたフェラーリで、息子を連れてドライブした時、あのCMのことを思い出したんだ。でもエンジンの音があまりにも大きくて、タイヤのブランドまで確認する余裕はなかったよ。小さな皮肉だけど、そんな瞬間が僕は好きだ。