今年も沢山の応援ありがとうございました。
みなさんにとって2016年はどんな年だったでしょうか?
私にとっての2016年、特にこの1ヶ月は大きな転機となりました。
12月14日に発表がありましたが、19年間お世話になったARTAを離れ、EPSON Nakajima racingへと移籍になりました。
今年で私は37歳です。
19年?
そう、人生の約半分をARTAそして亜久里さんにお世話になってきました。
もちろん、カートから四輪の世界に引き上げてくれたのも亜久里さん、そしてインディーカーにも乗せてくれたのも亜久里さん、GT500にも乗せてくれたのも亜久里さんです。
私の父のような存在です。
大晦日の今日ですが、少しだけこの19年間を振り返ってみたいと思います。
亜久里さんと初めて話をしたのは、1997年の(当時18歳)全日本カート選手権の最終戦の瑞浪でした。その年は鈴鹿のワールドカップでも勝ち、ジャパンカートグランプリでも勝ちました。全日本選手権ではチャンピオン争いをしており、最終戦の場で「松浦、来年はうちのチームで乗らないか?」と声をかけて頂きました。
翌年の1998年はARTAが設立され、チームの一員になりSRS-Fへ行き、フォーミュラーの世界を学び、主席ではなく、次席で卒業。
1999年はFormula Dreamが始まり、日本のレース界に育成がスタートした。
その年は、初のフォーミュラーレースでしたが、鈴鹿のF1レースの前座で優勝。
2000年も引き続きフォーミュラードリームに参戦。勝ちまくってぶっちぎりのチャンピオン
2001年から2年間イタリアのプレマパワーからドイツF3選手権に参戦。
2002年はシリーズランキング2位で終えました。
2003年はフォーミュラールノーV6でシリーズ3位。
そして2004年から4年間IRLインディーカーシリーズに参戦。
2008年はフォーミュラー日本に参戦しました。
2009年はなんとリーマンショックで私はホンダで乗れなくなり、この年1年だけ5ZIGENの木下さんにお世話になり、S耐のST3クラスに参戦。チャンンピオンを取りました。
2010年は、亜久里さんが無理矢理自分をaprに押し込んでくださり、カローラでGT300を戦いました。
2011、2012年はARTA Garaiyaに乗りARTAに復帰。
2013年からARTAでGT500に昇格。菅生のレース優勝!ARTAはダブルWinを成し遂げました!
2014年から3年間ARTA NSX Concept GTに乗り戦ってきました。
2008年から3年間他のチームで乗った時もありましたが、私生活や考え方などを教えてくださったのは亜久里さんでした。そして一度は腐りそうになった自分を拾って頂き、今のポジションまで引き上げてくださったのも亜久里さんでした。
(↑最終戦もてぎのスターティンググリッドです。なんとなく、ARTAのスーツに袖を通すのが最後な気がして家族をサーキットに呼びました。娘にスーツを着させ、亜久里さんに抱っこしてもらった貴重な写真です。)
現役を終える時も亜久里さんのチームでと思っていたのですが、12月にホンダさんから中嶋レーシングの話を頂いた時にも亜久里さんは快く「頑張ってこいよ!」と言って下さいました。
そして何より、これだけオレンジ色が濃い自分を引き受けて下さる中嶋悟監督にも本当に感謝しています。自分もビックリしましたが、みなさんも私がNakajima racingで走る事に驚かれた事でしょう。
今日まではARTAを離れる事を寂しく思っていますが、明日2017になれば私はNakajima racingのドライバーです。
心を入れ替え、プロとしてNakajima racingの為に、EPSONの為に、DUNLOPの為に、HONDAの為に、そしてNakajima racingを応援して下さるファンの人達の為に一生懸命がんばります。
2016年も沢山の応援をありがとうございました!
皆様も良いお年をお迎え下さい!