皆様、こんにちは。

今年のGWの旅記を書き進めてまいります。

東北への旅、2日目。

いわき から目的地の大船渡まで、ひたすら乗り継いで行きます。

長旅ですので、ゆっくり旅気分に浸ってもらえればと思います😅

 

 

~2024年4月27日~

 

AM6:00 寝坊することなく、無事に起床(笑)

ホテルの無料朝食を食べて、駅へ向かいます。

 

〈いわき〉

2日目、いわき から大船渡へ向けて、長旅が始まります。

 

〈いわき〉

常磐線 原ノ町行に乗車。

いわき は、東北なのですが…

どうしても鉄道で旅していると、東北という実感が湧かない場所です。

その原因は、間違いなく、この車両でしょう(笑)

東北でありながら、首都圏のE531系が走っている訳ですので😅

 

〈常磐線〉

いわき-原ノ町は、福島第一原発のすぐ近くを走る区間であり、常磐線で復旧が最も遅かった場所です。

現在も、沿線は帰還困難区域となっている場所があります。

 

写真は、福島第一原発に最も近付く区間、大野-双葉の車窓です。

かつて、この区間は複線区間でしたが、現在は単線になっています。

元々上り線であった線路を撤去し、万が一の事が発生した時ための避難経路として、アスファルト舗装がされています。

 

 

〈常磐線〉

こちらも、同区間から見える車窓。

写っている学校は、おそらく双葉高等学校だと思われます。

 

〈常磐線〉

その先、浪江-桃内の車窓から、旧浪江高等学校が見えます。

校庭には植物が…

震災から時が止まっているようです。

 

人が住めないのに、列車は走っている。

不思議な区間です。

震災が切っ掛けで、なのかもしれないが、元はと言えば原発なんかを作ったのは人間です。

人間自身が、人が住めない状況を生んでしまった、と僕は思っています。

原発について、ここであれこれ語るのは、少し違うかもしれませんが…

地震と津波は自然災害であったにしても、原発事故はそうではないと思っています。

この考えは震災当時の中学生の頃から変わりません。そして、これからも変わらない。

もう二度と、これ以上、同じような状況を作らないでほしい。

他人事ではないのです。

 

 

〈原ノ町〉

E531系の運用は、原ノ町まで。

 

〈原ノ町〉

ここから、やっと東北の車両になります(笑)

常磐線 仙台行に乗車。

E721系 2両+701系 4両の6両編成でした。

 

〈相馬〉

一度、降りてみたい相馬。

今回も降りられず、通過となりましたが、いつか降り立ちたいと思います😊

「相馬野馬追」も見に行きたいんですよね。

お祭り会場の最寄りは、原ノ町だった気がしますが…

 

〈仙台〉

仙台では、20分の接続でした

先が長いので、仙台でゆっくりする時間もなく…😅

東北本線 小牛田行に乗車。

701系 4両でした。

 

〈小牛田〉

石巻線 石巻行に乗車。

キハ110系 1両です。

この列車で前谷地へ。

 

〈気仙沼線〉

前谷地で2分の接続で、石巻線から気仙沼線へ乗り継ぎ、柳津へ向かいます。

結構忙しい…😅

とにかく長閑なところを軽快に走る気仙沼線です。

 

 

〈柳津〉

気仙沼線の鉄道区間の終点、柳津に到着。

気仙沼線は、この先の気仙沼までずっと続きますが、線路はここで終わります。

【前谷地-和渕-のの岳-陸前豊里-御岳堂-柳津】たった5駅です。

駅名標も、この先の駅が消されています。

 

〈柳津〉

この先は、気仙沼線BRTとなり、路線バスでの運行です。

気仙沼線の柳津-気仙沼は、東日本大震災の津波被害が酷く、鉄道復旧を断念しました。

 

しかし、今も列車での運行を継続している前谷地-柳津も危ういのではないかと、個人的に感じております。

なぜならば、この区間も赤字区間として挙げられている点が1つ。

加えて、前谷地-柳津の3分の1が列車ではなく、バスでの運行に置き換わっていること。

その様子から、将来的には、この区間もBRTに切り替えたいのではないか…と個人的に推測しています。

この日の乗客は、自分含めて2人。

そして、どちらも地元民ではない。

 

〈柳津〉

本来、線路跡を活用したバス専用道をBRTが走行するのですが、BRT自動運転区間の延伸工事に伴い、柳津-志津川の区間が一般道での迂回運転となりました。

 

〈柳津〉

気仙沼線BRTの車内。

至って普通の路線バスです。

柳津から気仙沼まで、このバスに片道2時間弱乗ることになります(笑)

気仙沼って、遠い…

 

〈気仙沼線BRT〉

陸前戸倉-志津川の車窓から。

南三陸の海が広がります。

迂回運転ですので、国道45号からの景色となります。

いつ来ても、この景色には癒されます。

 

〈気仙沼線BRT〉

南三陸町の震災遺構「高野会館」。

かつては結婚式場だったようです。

この建物の最上階まで津波が押し寄せました。

 

高い防波堤が造られました。

 

〈志津川〉

 

〈志津川〉

下車しなかったので、車内からの写真になりますが…

現在の志津川駅です。

「道の駅 南三陸」と併設されています。

この道の駅にも震災遺構「防災対策庁舎」があります。

高校生の頃、一度訪れたことがあります。

その時は、まだこの辺り一帯整備が進んでなく、道の駅もありませんでした。

 

震災で、地形がかなり変わってしまいました。

そして、当然ながら地図も変わった。

 

〈大谷海岸〉

 

〈大谷海岸〉

ここも車内からの写真になります。

大谷海岸からの景色も、とても綺麗です。

この先、BRTはしばらく国道45号を走った後、再び線路跡の専用道に入り、終点の気仙沼を目指します。

 

〈気仙沼〉

 

〈気仙沼〉

やっと…やっと…着きました。

長かった、遠かった。

2時間弱、トイレ休憩などありませんので、全区間乗り通される際はご注意ください(笑)

 

〈気仙沼〉

今日もピカチュウがお出迎え(笑)

 

〈気仙沼〉

乗り継ぎで、ちょいちょい来ることはあっても、しっかり街を歩いたことがない気仙沼。

今度、気仙沼を目的地として訪れたいと思います。

 

〈気仙沼〉

45分ほど滞在し、BRTを乗り継ぎます。

大船渡線BRT 盛行に乗車。

 

大船渡線の気仙沼-盛も、海沿い区間ですので、津波被害によりBRTでの運行です。

 

〈大船渡線BRT〉

海が近付いてくると、もうすぐ大船渡です。

 

〈大船渡〉

 

〈大船渡〉

目的地、大船渡に到着です。

バス専用道になってしまった大船渡線。

何となく、線路だった名残が分かりますか…

僕は線路にしか見えません😅

 

〈大船渡〉

いわき~大船渡まで、11時間半の長旅となりました。

遠い…けど、それだけの達成感があります。

大変な思いをすればするほど、訪れた街に愛着が湧く気がします(笑)

 

前回来た時と同じ大船渡プラザホテルにチェックイン。

部屋に荷物を置いて、夕食を食べに外出。

 

〈四季旬彩 中村〉

やってました😊

1年前も食事した「四季旬彩 中村」。

 

店主:

いらっしゃい!

 

僕:

こんばんは😊

 

店主:

オススメは、「浜っ子丼」ねっ!

 

僕:

「浜っ子丼」と…うーん…「タコの唐揚げ」お願いします!

 

そうそう、これこれ😋

名物の「浜っ子丼」。

これが食べてくて、大船渡に来たようなものですから(笑)

 

今回は、タコの唐揚げも頂きました。

いや~美味しかった🥰

社会人の良い点は、好きなもの、食べたいものを惜しみなく食べられることでしょう!!!(笑)

自分で稼いだ小銭で食べるから、尚更美味しく感じるのだと、しみじみ感じます😁

学生時代もバイト代で旅してましたが、少ない小遣いだったので、食べたいものを食べたいだけ、という訳にはいかなかったのです(笑)

これ以上も以下もない、幸せですね😊

 

〈みなと公園〉

食後、せっかくなので、少し散歩することにしました。

高~い防波堤に階段を見つけ、上ってみると小さな広場がありました。

「みなと公園」というらしいです。

 

 

公園には、震災の犠牲者を悼む「祈りのモニュメント」と「鎮魂愛の鐘」があります。

 

公園からは、大船渡港がよく見えます。

ちょうど、貨物船が停船していました。

いい風景です😊

涼しい海風も心地よかった。

 

 

防波堤から見る、大船渡の街。

元々がどんな街だったのかは分からないけど、綺麗に復興が進んでいることに心打たれます。

 

散歩しながら…

「そういえば、バスの踏切って珍しいよな」と、ふと思い立って撮影(笑)

 

ただの道路じゃん?

いやいや、これが踏切なんですよ~😁

 

バス来ないかな~と思っていた矢先、タイミングよく来てくれました(笑)

 

警報機も遮断機も無いので、とてもシュールです(笑)

 

鉄道ファンとしては、やっぱり気仙沼線も大船渡線も鉄道で復旧してほしかった、というのが本音です。

でも、これらの路線を主に利用するのは、地元の方々です。

BRTが本復旧で良いと合意したのは、気仙沼線と大船渡線が走る沿線自治体です。

この街の公共交通のあり方を考慮した上で決定したことですので、これはこれで良い解決策だと思います😊

 

 

 

 

 

-続-