『 悪魔の起源の中に、今でも ( 正義感・慈愛 ) が存在する事 』を信じたい ④ … ☆〆 | Akemiのブログ

Akemiのブログ

ブログの説明を入力します。


phantaporta | パンタポルタ
《 P.6》
実在の王様だった! 悪魔を使役した魔術師ソロモン王の伝説


ソロモン王

古代イスラエルのソロモン王は伝説の魔術師であり、魔術書『レメゲトン』によると指輪の力を使って72柱もの悪魔を使役したとされています。

ソロモンは後に悪魔の力を恐れ、彼らを真鍮でできた壺に封印すると、湖深くに沈めてしまいました。ところが財宝の隠し場所だと勘違いした人々によって壺の封印は解かれ、悪魔は逃げ出してしまいます。

なんとも恐ろしい話ですが、ソロモン王は本当に悪魔を使役できる魔術師だったのでしょうか? そもそもソロモン王は実在したのでしょうか?

今回は魔術師ソロモン王をめぐる伝説についてご紹介します。

目次
魔術師ソロモン王、悪魔を使役し神殿を建てる
実在の王様だった! ソロモン王の治世と神殿建設
ライターからひとこと
魔術師ソロモン王、悪魔を使役し神殿を建てる

イスラエル王国第3代国王・ソロモンが、偉大な王であり優れた魔術師でもあったという伝説は、古くから多くの人々によって語り継がれてきました。

旧約聖書には、ソロモン王にまつわる記述がいくつも残されています。それによると、ソロモン王は神から知恵と見識を授けられ、旧約聖書の「箴言(しんげん)」に収められている格言や歌を多数制作したといいます。

またシバの女王がソロモン王を訪ねた時には、女王からの難しい質問全てに的確に答えたともいわれています。

さらに1世紀のユダヤ人歴史家ヨセフスはソロモン王について、生涯で3,000冊もの本を書き残し、その中には多数の魔術書も含まれていたと述べました。

この他、1~5世紀頃に書かれた『ソロモン王の遺言』という魔術書には、ソロモン王にまつわる次のようなエピソードが記されています。

ある時、ソロモン王は聖なる神殿を建設しようとしましたが、悪魔たちに邪魔され、なかなか建設作業が進みません。そこでソロモン王が神に祈ると、天使ミカエルが神から与えられた指輪を持ってきました。

真鍮と鉄でできたその指輪にはソロモン王の紋章が刻まれており、指にはめると悪魔を使役することができる不思議なアイテムでした。ソロモン王は指輪の力を使って悪魔界の王ベルゼブブやアスモデウス、36デカンの悪魔といった多数の悪魔を支配下に置くと、彼らに神殿建設を手伝わせ、驚くべき速さで神殿を完成させたということです。

ソロモン王が悪魔を使役したというのはいかにも「伝説」的なエピソードであり、非現実的ともいえますが、いったいどんな背景でこのような伝説が生まれたのでしょうか? そもそも、ソロモン王は実在したのでしょうか?

ソロモン王2

◎関連記事
魔法陣の描き方を大解説 魔法陣を描いて魔法使いになろう!


実在の王様だった! ソロモン王の治世と神殿建設

結論からいうと、ソロモン王は実在の人物だったと考えられています。

ソロモンはイスラエル王国の国王ダビデの息子で、異母兄弟のアドニアという人物と王位継承権をめぐり争った後、ダビデ王の遺言によって紀元前967年に新国王となりました。

当時のイスラエルは、周辺民族であるペリシテ人との抗争が続いていた上、民族内部でも対立が相次ぐといった状況でした。父王ダビデは軍人出身であり、こうした状況を軍事力で打開しようとしましたが、ソロモン王は父とは反対に、平和外交や経済強化策をすすめることで問題解決にあたります。

ソロモン王が外国との貿易を推進したおかげで、王国は急速に豊かになっていきました。旧約聖書の「列王紀」には、ソロモン王にまつわる金銀財宝についての記述が残されています。

さらにソロモン王は外交政策の一環として、強国エジプト(第21王朝)のファラオの娘をはじめ、多くの諸外国の女性と政略結婚を繰り返しました。こうした政策のおかげでイスラエルは2万もの駿馬をもつ強国となり、周辺民族に対して優位にたつことができるようになったのです。


しかしソロモン王のとった政策は必ずしも支持されていたわけではありません。

神殿などの建設費を捻出するため、ソロモン王は国民に重税と労役を課し、民衆の反発をまねいたといわれています。また妻たちのために「アシュタロテ」や「ミルコム」といった異教の神殿を建設したり、ユダヤ教以外の宗教を黙認したことは、ユダヤ教徒と他の宗教信者との対立をまねく結果となりました。

ソロモン王が悪魔を使役し神殿を完成させたという伝説は、もしかするとこうした国内情勢を元にしたものなのかもしれません。

ソロモン王の治世は40年続きましたが、晩年は国内各地で相次ぐ反乱に悩んだといわれています。ソロモン王の死後、イスラエル王国は分裂し、弱体化してしまったのです。
ライターからひとこと

ソロモン王の指輪は真鍮と鉄でできていて、悪魔の他に天使も使役できたといわれています。もし指輪が実在したとしたら、今はどこに(あるいは誰の手中に)あるのでしょう? 指輪を手にした人物が悪いことに使わないことを祈っています。




phantaporta | パンタポルタ
《 P.7》
手書き写本で魔力を得る! 魔導書の秘密


魔導書+写本
魔術を使いたい、魔導書を手に入れたいと思ったことはありませんか? もし魔術を使うことができたら、お金持ちになったり、好きな人と両思いになったり、透明人間になれたり……。いろいろできそうですよね。魔術について記されているという魔導書には、何が書いてあるのでしょうか。魔導書は本当に実在していたのでしょうか。
『図解 魔導書』(草野巧 著)では、 多くの魔導書を紹介しています。

スペインや北欧で人気の魔導書『聖キプリアヌスの書』

本書ではスペインや北欧で人気のあった魔導書として『聖キプリアヌスの書』や聖キプリアヌス作の魔導書が紹介されています。
聖キプリアヌスは伝説上の聖人で、3世紀に実在していたカルタゴ司教の聖キプリアヌスとは違う人物です。彼は偉大な魔術師と呼ばれていましたが、自らの罪を悔いて改宗し、有徳の司祭になりました。中東では古くから彼の作った呪文や護符が広がり、18世紀にキプリアヌス作の魔導書が流行したといいます。

最も人気の高い魔導書『ソロモン王の鍵』

『ソロモン王の鍵』は、伝説ではソロモン王が書いたといわれています。1559年ローマ教皇パウルス4世によって発行された『禁書目録』のなかで邪悪の本の代表格と扱われ、かえって人気が高まった本です。ヨーロッパ中で最も有名な魔導書となり、後の『レメゲトン』、『大奥義書』、『小アルベール』、『黒い雌鳥』、『ホノリウス教皇の魔導書』など様々な魔導書に影響を与えました。

『ソロモン王の鍵』は2巻で構成され、1巻では基本となる魔術の手順や特別な目的に対する魔術の手順、2巻では魔術の準備作業がテーマになっています。この魔導書に記載された魔術とは、神に祈ることで様々 な霊に働きかけ、自分の願望を達成するものです。
さらには、魔術を行うために必要な道具や材料、ペンタクルのシンボルなどについて詳しく書かれています。また実際に魔術を行う際の注意点などについても解説されています。

魔導書を手に入れても、魔道具の作り方や身の清め方、羊皮紙やインクの作り方など、魔術を行うための準備作業の仕方がわからなくてはなにもできませんよね。そのため『ソロモン王の鍵』は魔術を行う者にとって必要不可欠なものでした。

魔導書+写本2
◎関連記事
魔術師の教科書! 魔導書を利用していたのはどんな人?

印刷技術の発達と魔導書に隠された意外な関係

魔導書の起源は紀元前2千年紀のバビロニアまでさかのぼり、当時は粘土板に楔形文字で書かれていました。その後、魔術的な事柄が書かれたパピルス紙の本は遅くとも紀元前4世紀に登場しました。
中世のヨーロッパでは羊皮紙の魔導書が一般的ですが、羊皮紙は紀元2世紀ごろトルコで発明されたといわれています。

ヨーロッパでは15世紀から 紙が作られるようになりますが、魔術的には羊皮紙に書かれていることが重要で、印刷された本には魔導書がもっているはずの魔力がないと考えられていました。そのため、16世紀になっても、印刷された魔導書をもとに写本が作られることが多かったようです。
古代の人々は文字そのものに魔力があると考え、魔術の儀式には自分が書き写した写本が必要でした。『ソロモン王の鍵』に羊皮紙のとり方や魔導書のつくり方まで書かれているのはそうためです。

魔導書+写本3

欲望をかなえるために利用された魔導書

昔の人たちはどんなことに魔術や魔導書を使っていたのでしょうか。もちろん、自然の秘密を学ぼうという気持ちもあったでしょう。
しかし、多くの場合、宝探しと愛であったといいます。中世から近代にかけて、トレジャーハンターたちは魔導書を頼りに宝探しをしました。また、自由な恋愛ができる時代ではなかったため、愛を勝ち得るための魔術も人気だったようです。透明人間になる方法なども魔導書には説明されており、わいせつ目的の魔術も載っていました。

そのほか魔導書には、泥棒の探索、陰謀を暴く術などいろいろな魔術が掲載されていました。犯人を捜すため魔術師に依頼したと公言することで、周囲や犯人にプレッシャーを与え、解決に導く効果もあったようです。
お金持ちになりたい、好きな人の愛を勝ち取りたい、勝負に勝ちたいなど人間の欲望はいつの時代でも変わらないのかもしれませんね。
ライターからひとこと

ファンタジー小説や映画、ゲームなどでよく取り上げられる魔法や魔術。魔導書はフランス語でグリモワールともよばれています。魔導書は古代から現代にかけて読み継がれてきた書物で、多くの種類があります。「エロイムエッサイム」という呪文を一度は聞いたことがあるのではないのでしょうか。これは魔導書『黒い雌鶏』にかかれている呪文で、日本の漫画やアニメ作品でも呪文として取り入れられています。 本書は、魔導書の歴史や使われ方、多くの魔導書などについて解説しており、本書を読むと、魔導書の概要がつかめるようになっています。


phantaporta | パンタポルタ
《 P.8》
大悪人? 大魔術師? 20世紀の怪人アレイスター・クロウリー


「世界最大悪人」「食人鬼」「堕落の魔王」「悪魔主義者」――これらの悪評は、すべて1人の人物につけられたものだ。その名はアレイスター・クロウリー。19世紀末から20世紀のオカルト界において、最重要人物と目される大魔術師である。

今回は、このアレイスター・クロウリーを紹介しよう。

目次
莫大な遺産と抑圧 若き日のアレイスター・クロウリー
アレイスター・クロウリーと<黄金の夜明け団>
アレイスター・クロウリーの魔術結社<銀の星>の崩壊
エイワス教団の醜聞とアレイスター・クロウリーの晩年
天使も悪魔も召喚! アレイスター・クロウリーの魔術
莫大な遺産と抑圧 若き日のアレイスター・クロウリー

アレイスター・クロウリーは1875年、イギリスのウォーリックシア州に生まれた。クロウリー家は非常に裕福だったが、プリマス・ブレズレンというキリスト教内でも極めて厳格な戒律をもつ宗派に帰依していた。

クロウリーが寄宿制小学校に在学中、ビール工場を経営していた父親が死亡。これにより彼のもとには莫大な遺産が転がり込むこととなった。

寄宿学校に戻ったクロウリーは、父の死の影響で生活態度が悪化。学校はそれを許さず、数々の虐待を受ける。クロウリーは叔父により学校から救出されるが、校長らの言い分を信じた母親からはヒステリックに叱責された。これらの経験がクロウリーの性質を歪ませ、キリスト教社会への不信感を植え付けたと思われる。

やがて体調を回復したクロウリーはパブリック・スクールに転入。名門ケンブリッジのトリニティ・カレッジに入学する。

アレイスター・クロウリーと<黄金の夜明け団>

大学在学中、アレイスター・クロウリーは重度の鬱病を発症。その時期からオカルト関係の書物にのめりこんでいく。
1898年、クロウリーは登山で立ち寄ったマッターホルンのロッジで<黄金の夜明け団>の中心人物の一人ジュリアン・ベイカーと出会う。ベイカーはクロウリーを<黄金の夜明け団>へ勧誘した。

アレイスター・クロウリー2

<黄金の夜明け団>は、当時の魔術復興の旗手を担った魔術結社だ。独自の魔術研究を行っており、その魔術の実態は錬金術とユダヤ教カバラ、グノーシス思想、エジプト魔術、各種の占術など、多様なオカルト知識を取り込んで再構築したものである。

クロウリーは<黄金の夜明け団>に入団し、本格的な魔術修行を開始する。1900年頃にはネス湖畔に屋敷を借り、アブラメリン魔術の実験に没頭した。アブラメリン魔術とは、禁欲的生活を通じて聖守護天使を召喚するものだ。

しかしこの時期<黄金の夜明け団>は、ロンドン本部とパリ支部の間で運営方針の食い違いから内戦状態にあった。クロウリーはパリ支部長のマクレガー・メイザースに師事しており、また魔術実験の失敗などもあって<黄金の夜明け団>から追放されてしまう。

◎関連記事
錬金術の叡智で世界を啓蒙する! 秘密結社「薔薇十字団」
悪魔崇拝? 社交の場? 秘密結社「ヘルファイア・クラブ」

アレイスター・クロウリーの魔術結社<銀の星>の崩壊

<黄金の夜明け団>を追放されたアレイスター・クロウリーは、世界一周旅行に出かける。インドのセイロンでクンダリーニ・ヨガを学び、パリ滞在時には妻ローズ・ケリーと出会う。結婚したクロウリー夫妻は新婚旅行でエジプトのカイロに出かけ、妻を触媒とした降霊儀式によって守護天使エイワスと接触するのである。

娘の病死を経て妻と離婚したアレイスター・クロウリーは、1907年に自ら魔術結社<銀の星>を設立する。このとき<黄金の夜明け団>時代の師であったメイザースと裁判沙汰となり、また友人ジョージ・C・ジョーンズが劇場公開した「エレシウスの儀式」に関して三流新聞と訴訟を起こして<銀の星>を退団した。

盟友を次々失ったクロウリーは、<東方聖堂騎士団>ロンドン支部へ活動の拠点を移す。やがて彼はロンドン支部を私物化し、名称も<ミステリア・ミスティカ・マキシマ>と変えてしまう。1914年には<東方聖堂騎士団>の活動をアメリカに伝播する名目で渡米するが、実質は夜逃げだった。

クロウリーがアメリカで親独プロパガンダ活動に従事したことから<東方聖堂騎士団>ロンドン支部はロンドン警視庁の強制捜査を受け、支部と<銀の星>は事実上崩壊した。

◎関連記事
エジソンも参加した! ブラヴァツキー夫人の「神智学協会」

エイワス教団の醜聞とアレイスター・クロウリーの晩年

1920年、今度はアレイスター・クロウリーは<エイワス教団>を設立。イタリアのシチリア島に築いた<テレマ僧院>での活動を開始する。ここでは魔術儀式のほか、各種薬物の濫用や、性魔術のための異性・同性間の性行為が日常的に行われていたという。

しかしここで資金が底をつく。クロウリーは資金確保のため、僧院内の生活をモデルに『麻薬常習者の日記』など数篇の小説を出版。僧院の内情が表沙汰となり、メディアはこぞってクロウリー叩きを行った。僧院内で死亡者が出るという事件も起こり、1923年、ムッソリーニ直々の命令によりイタリアより追放される。

アレイスター・クロウリー3
クロウリーはパリへ移り<東方聖堂騎士団>の首領に就任するも、1929年にはフランス政府から国外退去処分を受けイギリスへ帰国。以後は書物の執筆やトート・タロットの製作などを行い、比較的穏やかな後半生を送った。1947年、クロウリーは心筋退化および慢性気管支炎で没。ブライトン公共墓地へ埋葬された。

◎関連記事
20世紀の孤高の魔術師、オースティン・オスマン・スペア

天使も悪魔も召喚! アレイスター・クロウリーの魔術

破天荒な人生を送り、魔術結社を次々食い潰したともいえるアレイスター・クロウリーだが、近代の魔術師には珍しく「魔術を行使した」エピソードがいくつも残されている。その一部を紹介しよう。

・アブラメリン魔術
クロウリーがネス湖畔の屋敷を借りて行った魔術実験。この魔術を実践する者は春分の日から秋分の日までの6ヶ月間、隠遁生活が求められる。肉食や外出が禁じられ、アブラメリン香を炊いて「心を祈りで燃え上がらせなければならない」。
隠遁生活が過ぎたら銀皿を載せた祭壇を準備し、思春期前の少年を霊媒として祈る。すると聖守護天使が現れ、銀皿にメッセージを書くのだという。

しかしクロウリーが隠遁生活を完遂できず、魔術実験は失敗した。

・大悪魔コロンゾンの召喚
クロウリーがアルジェリア南部の砂漠で弟子のヴィクター・ニューバーグと共に行った魔術実験。天使たちからの秘技伝授を目的とし、「深淵」の主である大悪魔コロンゾンを呼び出したのだ。コロンゾンはクロウリーに憑依してニューバーグを脅したり誘惑したりしてきたがこれを無視すると、自らの数値333と本質を表す名前「拡散」を打ち明けた。

この後クロウリーは天使と接触し、秘技の伝授を得たという。

・メルクリウス召喚
クロウリーがニューバーグと共にパリで行った魔術実験。メルクリウスとユピテルの召喚を目的としていたが、同性間の性魔術が用いられた。というのもメルクリウスは青年愛の守護者であり、ユピテルもガニメデという少年の愛人がいたからだ。

クロウリーらはあわせて20回の召喚実験を行い、メルクリウスの召喚に数度成功して、助言や秘技の伝授を受けたという。

・守護天使エイワスの召喚と『法の書』
新婚旅行でカイロを訪れた際にクロウリーが魔術実験を行っていると、突然妻ローズが神懸かった。妻は魔術に無知だったにもかかわらず、専門的魔術用語を口にした。そこで召喚儀式を行ったところクロウリーに彼自身の守護天使エイワスが召喚され、自動書記によって言葉を伝えてきたのだ。それが『法の書』だ。

この『法の書』はあらゆる存在が等価値であると述べ、既成価値からの脱却を説いている。これがテレマ哲学だが、非常に難解で誤読しやすく、アレイスター・クロウリー本人にも理解できないところがあったという。テレマ哲学は、次の一言によって言い表される。

「汝の欲するところを為せ。それが<法(テレマ)>とならん」――まるで、クロウリー自身の生き方を示すかのようだ。


~クイズ~
大魔術師とも大悪人ともいわれる20世紀の奇人アレイスター・クロウリー。彼はアブラメリン魔術という魔術実験を行っていたけど、儀式に必要な「あるもの」を用意できなかったため、失敗に終わったんだ。その「あるもの」とはなんだろう?

①処女の生き血
②美少年の霊媒
③禁欲的な隠遁生活


~クイズの答え~
大魔術師とも大悪人ともいわれる20世紀の奇人アレイスター・クロウリー。彼はアブラメリン魔術という魔術実験を行っていたけど、儀式に必要な「あるもの」を用意できなかったため、失敗に終わったんだ。その「あるもの」とはなんだろう?

            答え:③禁欲的な隠遁生活

◇参考書籍

『100人の魔法使い』
著:久保田悠羅
   佐藤俊之
   司馬炳介
   秦野啓