渋沢栄一の里
(群馬県深谷市)
群馬県深谷市出身
日本の資本主義を育てた経済界の巨人
渋沢栄一、一色のツアーです
まずはここから
誠之堂、清風亭
誠之堂
大正5年(1916)、渋沢栄一の喜寿(77歳)を祝って第一銀行の行員たちの出資により東京世田谷に建築。(渋沢は、第一銀行 初代頭取)その後、1999年(平成11年)に渋沢栄一生家のある深谷市に保存のため移築され、2003年(平成15年)5月30日には国の重要文化財に指定される。
ステンドガラスは6面あって、ちゃんと意味があります
これは第3面と第4面で楽器演奏と雑技を行っている場面。
赤、黄、黒の3種類の煉瓦を用いて「喜壽(きじゅ)」の文字
近くに清風亭
当時第一銀行頭取であった佐々木勇之助の古希(70歳)を記念して建築。
建築資金は、誠之堂と同じくすべて第一銀行行員たちの出資によるもので、行員たちから強く慕われていたことが伺われます。
安室奈美恵さんのMVにも利用されたそうです(曲名は不明)
大正12年の関東大震災を契機に、日本の洋建築の構造は、煉瓦造から鉄筋コンクリート造へと主流が代わったが、清風亭は鉄筋コンクリート造の初期の建築物としても建築史上貴重なものといえる。
続いて、尾高惇忠生家へ
尾高惇忠は日本の実業家。富岡製糸場の初代場長。惇忠と栄一は従兄弟で、栄一は惇忠に教えを受けた。
そして、渋沢栄一記念館へ
小柄な方だったようですね
建物裏には大きな銅像があります。
ここには体育館(バスケコート一面の大きさ)と、誠之堂には近くにグランドがあります。
これもすべて、市民の事(健康など)を考えて作られているそうです。
続いて
渋沢栄一生家・青淵家へ
どこかのお寺かと思うような立派な門
大きな家です
続いて
煉瓦資料館へ
明治政府の意向を受け、明治21(1888)年に操業を開始。当地で製造された煉瓦は、東京駅丸ノ内本屋や旧東宮御所(現迎賓館赤坂離宮)などに使用されており、日本の近代化に大きく寄与した。
菜の花が咲く道を通って
前渠鉄橋(びぜんきょてっきょう)へ
日本煉瓦専用線が備前渠を通るために架設された鉄橋
福川鉄橋
レンガを輸送するために深谷駅まで約4Kmの民間専用線の区間内に設置された。
田舎道をひたすら歩きます。
きれいな花も咲いてました
途中、深谷市民の方と会いましたがみなさん、気持ちよい挨拶してくれました。
優しすぎる気持ちよい深谷市民!
旧深谷宿常夜灯
江戸時代後期の天保11年(1840)深谷宿の東の入口を示す常夜灯が建立
大谷家洋館
江戸時代中期から続く中山道深谷宿の有力商家。
今でも住人の方がいるので、外から見学のみ
いたるところに煉瓦があります
ゴールは深谷駅
この感じ、東京駅に似ている??
深谷駅は東京駅の赤レンガ駅舎をモチーフにしたデザインで、「ミニ東京駅」とも呼ばれる。大正時代に竣工した東京駅・丸の内口駅舎の建築時、深谷に所在する日本煉瓦製造で製造された煉瓦が70km以上離れた東京駅まで鉄道輸送されて使われた史実に因む。(実際はレンガ構造ではなく、コンクリート壁面の一面にレンガ風のタイルを貼ることによって東京駅に似せている)
だそうだ。
まじでミニ東京駅でした
深谷市民の渋沢栄一愛が半端ないです。
これだけの偉人だったら仕方ないねって思うくらい、渋沢栄一も、深谷市民も素晴らしい人々でした。
※このツアー参加後、渋沢栄一が大河ドラマに決まりました!偶然?




























