自分史ーその6(転機3)
妻とは協議離婚をすることになり、家庭裁判所へも数度出廷した。しかし、話し合いが付かず、慰謝料を支払うことで折り合った。元の鞘に戻ることも考え、その旨を話したことも有ったが、「戻って来ては困るのよ」と言われ、何故かは聞かなかっが、復縁は出来なかった。このころ、姉から。手紙を頂いた。“・・・中略)、人それぞれ生き方があって当たり前ではありますが、先ずはこのような事態を招いたのは自分に否があったからと強く反省することです。他にその原因を求めてはこれからの人生を大成することは不可能です。人生とは失敗と後悔の繰り返しです、そして苦しみと悩みの壁をどのように切り開いていくか、むしろこのような問題があるからこそ八十年もいきられるのだと思います。自分に厳しいむちを打ってこそ自分なりの人生が歩まれるのではないか、他人に寄りかかって力を借りて生きるようでは、これから先の人生には良いことは起こりません。兎に角二人の子供の父親として恥のないように、そして自分を見失うこと無くしっかりと自分の足で歩まれることを強く希望します。(中略)せめても子供達にだけは「お父さん。オヤジ」と言われるようになって欲しいのです。(中略)“早期勧奨退職なら退職金が割増になるし、1年間の失業保険ももらえるし、妻へ慰謝料を払って離婚出来るし、多額の借金も返せるし、田舎へ帰れば60歳からは年金で暮らせるので、母が生存中は母と同居し、母が亡きあとは田舎で連れ合いを見つけて暮らすのも良かろうと思い退職を決意した。2005年6月にプーケットへ旅行した。目的は、2004年12月26日にスマトラ島で地震があり、その時の津波でタイのプーケットでは津波に巻き込まれて5305人が亡くなっている、その後の現地視察の目的も有ったが、一度は行って見たい憧れの観光地でも有った。此処で思わぬ出会いが有り、考えが変わった。老後は、田舎へ帰って畑でもしながらのんびりと生活したい。しかし、田舎は寒い、暖かい南はどうか、沖縄や伊豆半島など、でも日本は物価が高くて年金だけでは生活できない。子供たちとは離れているし、老後を一人で生きるには寂しい。タイで生活できないだろうか?。ネットで調べて見ると多くの日本人がタイに住んでいる。